武田山不動院 関連年表

 不動院は、茨城県那珂郡那珂町菅谷にある、真言宗豊山派の寺院です。
不動院に関連する主な出来事を略年表でまとめました。

なお、この年表は真言宗豊山派ホームページの年表を参考にさせて頂きました。


西暦

年号

主な出来事

538年 - わが国に仏教が伝わる。
774年 宝亀 5 空海、現在の香川県に生まれる。
807年 大同 2 菅谷の「宮の池」の東の傍らに鹿島神宮が祀られる。(1)(2)
816年 弘仁 7 弘法大師空海、高野山を賜わり、翌年より開創にとりかかる。
1083年 永保 3 後三年の役始まる。(〜87)
1087年 寛治 1 源義家の軍勢は、後三年の役の念願成就の印に鹿島宮の傍らに八幡神社を祀る。(1)(2) 両宮の始まりである。なお、佐竹義宣が八幡宮を合祀したという説もある。(1)
両宮を護持するため、寺が建立され、社僧がその任に当たった。これが現在の不動院の前身である。(2)
なお、安政四年(1857年)に、これらの神社は徳川斉昭により廃され、鹿島神社が新たに現在地(菅谷小前)に遷宮された。(1)
1140年 長承 6 覚鑁、僧徒とともに根来山へ移住する。(新義派のおこり)
1422年 応永29 菅谷の鹿島神社・八幡神社の両宮(現在の鹿島神社)の神宮寺として、 宥棟を開基として創建する。(3)
しかし、宥棟が開いたのは高場(ひたちなか市)の不動院であり(4)、 高場はかって武田郷に属していたから武田山不動院とも言われたが、 何らかの理由で菅谷に移され、菅谷の神宮寺となったという説が有力である。(5)
1588年 天正16 専誉、豊臣秀長の招請により豊山長谷寺に入山。根来寺小池坊(能化坊)を再興し新義真言の法灯を伝える
1666年 寛文 6 徳川光圀が正しい仏教を興そうとして、領内の社寺整理を行なう。由緒のある寺院は残し、由緒の無い小寺院は破却する方針が貫かれた。
1673年 延宝 1 しばらく荒廃していた神宮寺が破却され、跡地に青柳村(水戸市)大聖寺を引寺して千寿院と改められた。(6) 徳川光圀の領内社寺整理の一環である。
なお、延宝三年(1675年)に光圀の命により照慶法師を中興開山とし、荒廃していた寺を再興し、 寛文十三年(1673年)武田山不動院大聖寺と改めたという説もある。(3)
1689年 元禄 2 金剛院宥信が本堂の前の不動堂を建立した。寺領二十八石を賜った。(3)
1694年 元禄 7 千寿院は不動院と改号された。(6)
1900年 明治33 真言宗新古各派が分離独立し管長を別置するにあたり新義真言宗豊山派として独立する。豊山派宗務所を護国寺内に開設する。
1959年 昭和34 不動院の庫裡が再建された。
1985年 昭和60 不動院の本堂が新築された。
1992年 平成 4 不動院の庫裡が新築された。
2003年 平成15 不動院の山門が150年ぶりに新築された。開門式を6月15日(弘法大師ご生誕の日)に開催

参考資料
(1)那珂町史
(2)追憶の記 道しるべ(浦澤泰精 不動院住職)
(3)那珂町郷土史編纂委員会編「わが郷土」
(4)「願行流血脈」(小松寺 文書)
(5)勝田市史
(6)元文三年「野々上・武茂両組鎮守改帳」(飯田 大和田まさ氏 所蔵)