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水戸市桜川2-2-35 産業会館14階

カウンセリングエッセイ

 


 カウンセラーによるエッセイコーナー、どうぞ気軽にお読みください。
 私は「ノブヒコ」という名前です。小さい頃から「ノブちゃん」とか「ノブさん」とか呼ばれていました。ですから「ノブさん」です。この似顔絵風イラストは、友人のイラストレーター平田トクさんの作です。似顔絵ともども、どうぞよろしくお願いします。
 さて1回目は、あのガンジーの言葉がカウンセリングの精神そのものを表しているというお話です。
 

握り拳では、握手できない


 インド独立の父で非暴力運動の指導者、マハトマ・ガンジーの言葉に表題に掲げたものがあります。正確には、「握り拳とは、握手できない」ですが、カウンセラーとしての私には表題のように聞こえてきました。相手のこととしてではなく、自分のこととして響いてきたのです。
 偉大なガンジーの言う「握り拳」とは、私たちの心の状態のことでしょう。攻撃や憎しみの心、かたくなで自己中心の心こそ、人類の最大の敵であると、彼は身をもって教えてくれました。しかも彼の凄いところは、独立運動において、祖国を隷従させている英国本土よりも、祖国の内なる強烈な足の引っ張り合いよりも、自分自身の中の「握り拳」こそ最も偉大なるテマであったと告白していることです。
 カウンセリングでは、相手と心が通じ合うこと、つまり「心で握手すること」が生命線ですから、カウンセラーの心の状態が「握り拳」ではどうしようもないということになります。それでは「握り拳」がゆっくりとやわらかく開かれていくにはどうしたらいいのでしょう。
 ひとつだけ言えることがあります。カウンセラー(よき聴き手)になるためには、まず「よく聴いてもらう体験」が一番大切だということです。それは、よく聴いてもらい、受けとめてもらい、感じとってもらうことで、自分の「心の握り拳」が次第にほどけていき、やわらかくなっていき、ついには開かれていくという体験こそ、よき聴き手になるための最も重要な体験だからです。そのとき、人は、相手と握手する姿勢ができているのです。そしておそらく、自分自身の心とも握手する準備ができている。
 こう考えると、やはりカウンセリングを学ぶことは、心のやわらかさを求める人なら、だれにでも開かれていることで、だれにでも必要なことといえるのではないでしょうか。
 最後にもうひとつ。握り拳ではできないことがあります…。そうです。「拍手」です。相手をほめること、讃えることです。「あなたは素晴らしい」と伝えることです。あるオーケストラの指揮者は言いました。
「私は時に思う。演奏会で最も美しい音楽は、鳴り止まぬ観客の拍手ではないかと」






 

サンタクロースの贈りもの


 季節はずれの話ですが、サンタクロースのお話です。
 私の友人で生まれてはじめてサンタクロース役を経験した人がいます。知り合いの保育園の園長さんから頼まれて、昨年末のクリスマス会の日、彼はサンタクロースになりました。別室ですっかり衣装を整え、掛け声と共に、園児たちの前に登場です。
 目を輝かす園児たち。頭をなでながら一人ひとりにプレゼントを渡します。興奮と喜びで子どもたちは丸ごとはじけそう。サンタ役を演じた彼は、感動の極みでした。「今まで生きてきた中で、こんなに喜ばれたことがあっただろうか」「あんな純粋な喜びの反応に出会ったことがあっただろうか」
 しばらくして彼は思い当たりました。クリスチャンでもないのに、クリスマスになるとなぜ日本中であんなにサンタの贈りものに熱中するのか。
 それはサンタ役を経験してみてわかった。人生の最高の喜びは「お返しを求めない贈りもの」「見返りを求めない愛情」を贈ることだったのだと。
 だから、世の親たちはサンタの物語を借りて、この「無償の愛」を贈る喜びを体験できる。こうして、クリスマスの日、各家庭に小さな奇跡が起きる。

 普通のとき、日常の世界では、「見返りを求めない愛情なんて」と軽く一蹴され、その深い喜びになかなかたどり着けません。
 だからこそ、サンタクロースはクリスマスになると子どもたちに贈りものを届けていただけでなく、世の親たちにも、この物語を通して、人生最高の喜びをプレゼントしていたのです。
 お互いに気をつけましょう。「こんな成績だとサンタは来ないぞ」「いい子にしてないとサンタは来ないわよ」なんて勝手にサンタを俗物化しないように。サンタはそんな小さな器ではありませんから。
 クリスマスのときもそうでないときも、サンタからの贈りものを、胸いっぱいに吸い込むことができたら、どんなに素晴らしいことでしょう。




 

安心して眠るために

 私の大好きな詩人に晴佐久昌英という人がいます。
詩集「恵みのとき~病気になったら~」を読んで、「魂にしみこんでくる」と思いました。それで、エッセイ集「星言葉」を読んでみました。「目から鱗が落ちる」とはこのことでした。
 2011年の夏だったと思いますが、当時私はある大手情報系の会社の東京本社のカウンセラーとして月2回ほど通っていました。仕事を終えて疲れた心と体を引きずりながら、御茶ノ水界隈を歩いていたら小さな案内板が目に入ってきました。「晴佐久昌英氏のお話と詩を読む会」で、その建物の地下室が会場だったのです。「これは不思議なめぐり合わせだぞ」と思いました。ところが参加者は20人足らず、しかもほとんどがクリスチャンの方々で、それは「みんなで自分の詩を読む会」だったのです。晴佐久氏は司祭でもあるのです。
 さあどうしよう。逃げ出すには、あまりに前の方に座りすぎた。しばらくして、やっと晴佐久さんが前に出て、自作の詩の朗読とお話をしてくれました。やっぱり「魂にしみこんできました」。思い切って会場に飛び込んでよかった。生の詩の朗読は、私の心をやわらげ、静かに整え直してくれました。
 さて、私が安心して眠るために暗誦している晴佐久さんの詩「おやすみ」を紹介しましょう。これは子守唄ですが、小さな子どものためだけに書かれたのではありません。子守唄は、もともと寝かせつけている親や大人のためにも書かれたものなのです。


         おやすみ

      おやすみ   おやすみ
      今日はたっぷり遊びました。
      あとはもうほんわかして
      ぐっすりおやすみ
      お月さまも雲に抱かれて
      そっとまぶたを閉じました
      おやすみ   おやすみ

                      
      眠れない夜は羊を数えてはいけません
      羊になるのです
      青草の上に寝そべって
      ふわふわした自分を楽しむのです
      わたしってやわらかいのね

      おやすみ  おやすみ
      明日の絵本を用意しました
      朝開くのを楽しみにして
      とっぷりおやすみ
      お星さまの子守唄聴いて
      ふんわり眠たくなりました
      おやすみ  お  や  す



 

わが谷は緑なりき

 私は昭和21年の夏、福岡県飯塚市というところで生まれました。私の子ども時代の飯塚は、筑豊炭田の中心地として栄え、戦後の日本経済の復興を石炭というエネルギーの面から支えていました。
 私の父は岡山県の出身で、大阪の学校を出て鉱山会社に入り、筑豊に赴任しました。そこで私の母と知り合ったのです。
 なぜこのようなことを述べたかといいますと、実は私は思春期から青年期にかけての長い時期、自分の故郷に対して複雑で屈折した思いを持ち、なかなか受け容れることができなかったのです。
 荒涼としたボタ山に象徴される風景、川筋気質と呼ばれる荒々しい気風、それらが若い私には受けとめきれず、むしろ弱々しい自分などいっぺんに吹き飛ばされそうな気がしたのです。
 やがて私は東京に出てきました。そして、いくつかの誠実で柔らかな視線と出会いながら、傷つき混乱していた自分の心を少しずつ癒してきたのだと思います。このことで第一に思い出すのは、「クライエント中心のカウンセリング」の生みの親カール・ロジャーズのことです。私は友人から借りたロジャーズ全集をむさぼるように読みながら自分が癒されていくのを実感しました。
 もう一つ忘れられないのは、渋谷の名画座で観たジョン・フォード監督の名作「わが谷は緑なりき」です。英国ウェールズ地方の炭鉱町が舞台になっているこの映画を観ながら、あの故郷のボタ山こそ、人々の汗と苦しみ、希望と絶望、愛と悲しみ、そうした人間の真実が込められている「魂の山」なのだということを、私は身にしみて悟ったのでした。
 こうしたさまざまな出会いの体験は、「人は何によって、どのように癒されていくのだろう」というライフワーク、つまりカウンセラーへと私を導いてくれました。
 あの故郷のボタ山こそ、今も私を支え、鍛え、そして育み続けているのです。




 
 
 ミンミン  電車&美味しいものが大好き!さすらいのグルメカウンセラー

カウンセリングのススメ

 こんにちは。皆様、いかがお過ごしでしょうか。今回はカウンセリングを利用することに、どんな意味や効用があるかについてお伝えしたいと思います。

①安心して悩みを話せる場を持つ
 職場や家庭で悩みが生じると、自分を責め一人で抱え込みがちですが、他者によく話を聴いてもらい、思いや事情を理解してもらうと人は安心し、悩みと取り組む気力と生きるたくましさを取り戻していきます。悩んだ時は一人で苦しまずに、どうぞ話に来てください。

②心身がつらくなった時の対処を共に考える
 過労やつらい人間関係が続くと、うつ的状態(不眠、不安、自信や意欲の減退など)や身体の不調が生じますが、限界を超えて休職となる前に、ぜひ相談に来てください。カウンセラーが、直面している状況の意味と対処方法をご一緒に考えます。一人で悩むよりはいろんなまなざしや対処の智恵がでてきますし、必要なときは医療機関なども紹介します。
 

③休職中にカウンセリングを利用し、今後の働き方や復職の方法を考える
 つらさが深刻な場合は休職して心身の調子を整えることが必要ですが、専門医の治療と平行して、カウンセリングの利用をお勧めします。ゆっくりとこれまでの流れをふり返り、今後の働き方や復職の方法を考えることは、孤独感を和らげ、回復の力になります。家族や上司の方々も、休職中の社員にぜひカウンセリングを勧めていただきたいと思います。

④復職したら、カウンセリングを利用しながら調子を取り戻す
 本人は仕事や再発の不安を抱えながらも勇気をもって復職します。上司や周りの人の理解と協力を得られれば、1年程度で調子を取り戻しますが、回復を焦り仕事の負荷を無理にかけると再休職になりがちです。復職後3~6ヶ月はカウンセリングに通い、安心して自分の思いを語りつつ働き方を調整することが、回復の支えになります。

今後も皆様のお役に立てるよう努力してまいりますので、よろしくお願いいたします。




 

 ブー  みんな何を考えているのかな~?と思いを巡らすマンボウです。

本の紹介 「猫力 ~うつな僕を救ってくれた猫~」

仲村清司 原作
松野和宏 漫画   ㈱アスコム発行

 このコミックエッセイは、著者である「僕」と、「向田さん」という一匹の猫との物語です。主人公「僕」は、8年前にうつ病と診断され、極度の摂食障害と睡眠障害も加わり、心身ともにぼろぼろの状態に陥りました。ひょんなことから一匹のメス猫「向田さん」と暮らし始めた僕に同居している向田さんは、どのように向き合ったのでしょうか。
    
 著者は、『過干渉することもされることも嫌い、つねに客観的に相手を見つめることができるのが猫。向田さんはその「猫力」をいかんなく発揮していきます』と案内します。
 さて、「向田さん」とはいったいどんな方?(猫?) 微笑ましい二人?のやり取りに猫好きな方も、そうでない方もほんわかした気持ちになれますよ~♪ 




 

  リリー  好きなことは気ままな散歩とひなたぼっこ

庭に遊ぶ

 私は、今、小さな庭で、硬い土と石と格闘中です。石というのは庭に埋もれている石のことです。現在の家に引っ越して3年ほどになりますが、越す前は、庭に好きな木や花を植えようと考えていました。しかし、この庭がなかなかに手強いのです。人の手がはいるのを拒んでいるかのような荒れた土。豊かな木々を植えるのを楽しみにしていた当初の予定は変更せざるを得なくなくなりました。どう手強いかというと、まず、土が硬く締まっていて、スコップを入れても5センチほどしか入りません。掘っていると土の中からは、おびただしい数の石が出てきます。小さなものから大きなもの、瓦礫の類も出てくるのです。またさらに、表土の下は粘土の層があります。ゆえに、根気強く石を取り除き、土を耕し、肥料を入れ、時間をかけて土を作っていかなければならないのです。この庭での挌闘作業をしながら考えたことがあります。

〈手作業の意味〉
  
 私は生まれが農家ですので、私の知っている田畑は豊かな実りをもたらす土地として初めからそこにありました。しかし、よく考えてみると農地は初めから農地として在った訳ではないのです。山の多い日本では、新しく切り開かれた土地も多いです。機械が普及していなかった時代、人の手で少しづつ切り開かれていった農地。しかもこうした開拓作業は、私たちの祖父母の時代までは当たり前に在った生活なのです。実際に自分が手を使って、身体を使って黙々と作業する労働の原点がそこにはあったのでした。自分が動かずとも、ある朝目覚めたら全てふかふかの土になっていました、というおとぎ話のようなことはないのです。日々の手を使った作業の中からしか実りをもたらす土は生まれません。そして、辛抱強く作業をする経験の中で培われいった精神というものが確かにあったのではないかと思うのです。
 肉体労働から遠ざかる生活を続けて久しい私は、ほんの少しの作業で音を上げてしまいます。そんな自分を見て、「身体だけでなく精神も軟になってしまっているなあ」と思いますが、何とか気を取り直して土と格闘をしています。

〈贈られたもの〉

 そんなわけで石の撤去作業は遅々として進んでいないのですが、時折、嬉しい贈りものを頂くことがあります。苦労してやっと耕した小さなスペースに、季節の花や木の苗を求め、植えているのですが、苗が大きくなり花芽をつけたときの嬉しさ、植えたことを忘れていた球根が芽を出し花を咲かせる嬉しさ、こぼれ種が芽吹いたのを発見したときの驚き。蝶や昆虫もくるようになり、小鳥も時折姿をみせますし、近所の猫が顔を出すこともあります。時に害虫が発生することもあるのですが、それも自然のこと。越したばかりとは、違ってずいぶん賑やかになってきました。
 これからの季節は、毎日の水遣りと草取りの作業が中心となります。作業をしながら草の青臭いにおいを嗅ぎ、土にふれ、空の青さを感じ、風のにおい、そよぐ葉のささやきを聞いていると、次第にこころが穏やかになってきます。私にとって、自然界とのつながりを感じる時間であり、生き物としての感覚を取り戻す時間。そんな時間を贈られたことをありがたく思っています。それにしても神様は、なんとすばらしいデザイナーなのでしょう。

〈新しい地平に〉

 庭仕事をして、庭は小さな実験場であることを知りました。自分自身を省み確かめる場でもあります。自分自身を省みると、こころの内に多くの雑多な石をもっていることに気がつきます。出来得れば、雑多な石を取り除きたいのですが、それは叶わぬことでしょう。石を遠ざけず、石とつきあいながらの歩みになりそうです。
 私もそろそろ人生後半に入ってきました。これからはまた新たな地平に向かう旅路となります。まだ見ぬ地平は、荒野でしょうか。荒野に見えても、そこにはまた新しい喜びや出会いがあるのではないでしょうか。私の敬愛するヘルマン・ヘッセは、晩年、庭仕事を愉しみながら深い思索を続けました。ヘッセのように、新しい地平を愉しみながら、開拓精神に立ち返り、庭仕事を続けていけたらと思います。
 そして、内なる庭が、閉ざされた庭でなく、開かれた庭となることを願いつつ。

(機関紙「メンタル・ケア ネットワーク」2013/7号に掲載)




 

ガングリオン

 一昨年の冬、足の指付け根に10円玉ぐらいの腫れあがったしこりができた。痛みはないが、触ると硬く 骨がでてきたのかと心配になった。悩んだ末、整形外科を受診した。
 そのしこりは、すぐに「ガングリオン」と言われ、特に悪いものではないから大丈夫と言われた。「ガングリオン」。小学校のころだっただろうか、妹が手の甲に急にこぶのようなものができ病院へ行くと、帰ったときにはそのこぶはすっかりなくなっていた。
 「ガングリだって」「ガングリッ?!」。その「ガングリ」らしい。私の足にできたそのしこりは、問題がないのでそのままでもいいということだったが、靴に当たるし、ピンポン玉を半分にしたぐらいでかなり大きく目立つ。どうしたらいいか医師に聞くと、気になるなら注射で中身のゼリー状のものを抜くとなくなるというので、その場で抜いてもらった。そのゼリー状のものは、なかなか硬く、抜くのにも時間がかかり、かなり痛かった。そのゼリー状のものは肌に良いと言われるヒアルロン酸とも聞き、抜いてしまいもったいない気もした。
 
 そして、昨年の同じ頃、今度は右手首より少し下に、急に硬い大きなしこりができた。バイ菌が入って膿んでいるような様子ではない。骨が出てきたような硬さ。そこで、「ガングリオン」を思い出した。
 インターネットで調べると、「女性に多い、手足にできることが多い、繰り返すこともある」とあった。「また、あのガングリだ!」と確信した。何となく、正体がわかるとホットした。
 そして、また病院で注射で中身を抜いてもらえばいいのだと考えた。痛いだろうなぁと覚悟し、昨年と同じ病院へ向かった。「どうしました?」「前にできたのと同じのがまたできて」医師は腫れている部分を見ると、「それはガングリオンじゃないなぁ…」と言った。「えっ……?」(じゃ、何??)医師によると、できた場所が違うという。ガングリオンは関節と関節の間にある袋が膨らんでできるが、今回の腫れは場所が違うという。いつ頃できたかと問われ、私は一週間前からと言った。医師は、「一週間でそんなに大きくなった? 気づかなかったんじゃないの?」と言う。リンパ腺の何かかもしれないし、何かバイ菌が入って戦っているのかもしれないから抗生物質を飲んで様子をみることになった。しばらく薬を飲んだが、その硬いしこりは全く変化なし。このしこりは今後治るのか、それとも一生このままなのか、心配で常に気になった。

 一週間後、血液検査の結果が出た。異常なし。むしろ、どの数値も健康そのもの。もしかすると この結果は、栄養ドリンクの影響かもしれないと思った。この時期、忙しい毎日で、とても疲れていた。そして、予定が立て込んでいたので体調を崩してはいけないと思い、栄養ドリンクを何日間か飲んでいた。元気になるような気がして。手のしこりができる前の生活で、これまでと違っていることと言えば、栄養ドリンクのことぐらい。しこりは、そのせい?医師には『もし詳しく調べるなら「切る」手術をしなければならないよ。そうなると傷も残るしねぇ、まぁ、リンパ腺じゃないかなぁ。1~2ヶ月様子をみて、何かあったらまた来て』と言われた。もしかすると、原因と思われる重要な情報と思い、思い切って打ち明けた。「ここのところ忙しくて、疲れていたので栄養ドリンクを続けて飲んでいました」すると医師は、苦笑いしながら「いいんじゃない?」と軽く受け流した。私としては、とっても重要なことと思い、相当思い切って話したのだけど……
 その後、この手のしこりは、普段通り過ごす中、少しずつ小さくなっていった。しかし、元のように、このしこりが、なくなるのかいつも心配な毎日だった。よく考えると、疲れがたまり体の免疫力が落ちていたのかもしれない。医師が言っていたように、体のあちこちにリンパ腺はあり、免疫力が落ちるとちょっとしたバイ菌に負けてしまい、腫れたりするかもしれない。
 しこりに気づいてから一ヶ月後、その腫れは自然と消えていった。何だったんだろう……?忙しさが一段落したせいか、体を動かすことを意識しリンパの流れが改善されたか、それとも、栄養ドリンクを飲まなくなったせいか。。。

 私たちは、ストレスや疲労がたまると、そのストレスや疲労は心や体、行動に現れると言われている。「ガングリオン』もどきができた時は、疲れがたまってきて、免疫力が下がっていたのかもしれない。ストレスや疲労が体に現れて、黄色信号が点滅し始めたともいえる。「これ以上今の状態を続けると、大変なことになるよ」と。少し、今のペースを見直そうというサイン。このサインを見落とし、それまでの生活を続けていたら、もしかすると赤信号まで行ってしまい、もっと違う病気になってしまったかもしれない。

 最近、心・頭・体をバランスよく使うことが大事だなと思う。心で感じる。頭で考える。体を動かす。この、心・頭・体の使い方がどれかに偏ってくると、どこかにひずみがでてきてしまう。心をたまに休ませないと、感じることができなくなってくる。頭を適度に休ませないと、フル回転させているつもりがカラ回りして効率が落ちる。体も酷使すれば、肉体的な疲労がたまり動けなくなる。ストレスや疲労に気づき、そして、気づいたときには心・頭・体を適度に休ませながらバランスよく使っていくことが、私たちの生活には大切なのではないかと感じる。

(機関紙「メンタル・ケア ネットワーク」2010/3 号に掲載)




 

夏がく~れば思い出す~♪


 毎年、初夏のころ、千波湖周辺や川沿いを歩いていると、いつの間にか現れしつこく付きまとう「マサヒコ」の季節がやってきます。「マサヒコ」というのは、本名ではありません。 本名はいまだに不明ですが、どこからともなく現れ、頭の上や目の前をクルクル旋回し、追い払ってもどこまでもついてくる小さな虫のことを私は「マサヒコ」と呼んでいます。

 「僕の先生は~ 嵐を巻き起こす~♪」 という主題歌で知られる水谷豊さん主演の『熱中時代』というドラマが流行っていたころでした。ドラマの舞台と同じ当時小学生だった私たちは、ちょっとした反抗期で口答えばかり。大人からすれば関わりにくい年ごろだったと思います。担任だったマサヒコ先生は、10歳のこどもの目には、若いような、ちょっとおじさんのような人でした。今思えば、20代後半から30代前半ぐらいだったと思います。

 ひょうきんで、じっと静かにしているのが苦手なTくんは、マサヒコ先生にいつも挑発的なことばを発していました。マサヒコ先生は、「こら~T!!なに~っ!!もう一回言ってみろー!」と発するや否や、全速力でTくんを教室や廊下中追いかけまわしました。二人の追いかけっこは、机やいすがあってもお構いなしです。私たちは、「また始まった」と思いながらもちょっとワクワク。猛烈な勢いで机やいすをなぎ倒しながら駆けまわる二人に圧倒され、「キャー!!!」と逃げ惑っていました。しかし、Tくんも、私たちクラスのみんなも、いつも笑顔でした。
 ドッチボールになると、先生は男の子たちには手加減せず強い球を投げ、うまくよけられたりボールをとられたりすると、とにかく悔しがっていました。マサヒコ先生は、気難しい年ごろの私たちと同じ目線で、本気モードで遊んでくれるドラマと同じ熱中先生でみんな大好きでした。

 校庭にはときどき、追い払っても追い払ってもついてくるあの小さな虫が現れました。私たちは、うっとうしいあの虫をいつしか「マサヒコ」と呼ぶようになっていました。毎年、小さなあの虫が頭の上をくるくるとついてくる季節になると「あっ、マサヒコ!」と今でも思い出します。30年以上前のことですが、こどものころにたくさん関わってもらった経験は忘れないものだなぁとなつかしく思います




 

人生をどう生きるか

     
 私たちは皆、こうなりたい、こうなるはずだという、人生イメージをもって生きているように思います。進学、就職、結婚、子育てなどに対して、そしてそれが、生じる不安を和らげたり、つらさに耐える支えに
なったりします。
 しかし往々にして、それが崩れるときがあります。しかも思いもかけぬ姿でやってくることが多いのです。そんなとき、どうして自分が、あるいはわが子がこんな目に遭い苦しまねばならないのか、一体自分は今まで何をやってきたのか、というような思いが押し寄せてきます。でもその思いをだれにぶつけたらよいのでしょうか。
 不登校や過労死などのような、社会的状況が主な要因になっているものでさえ、結局は、自分が、自分たち家族がどう生きていくかということにはね返ってくるのです。
 古代中国の荘子の言葉に、「いかんともすべからざるを知りて、これに安(やす)んじて命にしたがうは、ただ有徳者のみこれを能(よ)くす」というのがあります。私はこれを読むたびに、自分ではどうにもならない苦しい状況を、そのまま自分の人生として引受けようとする荘子の姿勢に、生きる悲しさを深い体験として知っている一人の人間を感じるのです。
 仏教には「受生(じゅしょう)の解脱(げだつ)という言葉があります。これも、与えられた自分の命とそれを取り巻く状況を、まさに自分の人生として腹を据えて引き受けるということです。
 考えてみると、私たちの人生は個人の計らいを超えた大きな流れ、関係性の中にあるのではないでしょうか。生きるとは、これを否定することでも耐え忍ぶことでもなく、自分のものとして引き受けること、腹の底から「これが自分の人生なんだ」と思い、それと取り組むことではないかと思うのです。そして苦しみから逃避せずに真正面に取り組む腹構えができたとき、不思議なことに「笑い」が生じてきます。私には、この笑いがとてもやさしい奥深いものに感じられるのです。
 カウンセリングとは、その人の「受生の解脱」をめざす取り組みに、カウンセラーが寄り添い共に歩むプロセスと思います。来談者は、自分を理解しようとする他者の存在に支えられながら、自分の内界と取り組んでいけます。そして、その作業は困難さと意味深さを有し、大いなる勇気を必要とするがゆえに、カウンセラーは、来談者の語る世界をひたすら敬意をもって傾聴していくのです。




 

確かに宿る生きる力

     
 早春から初夏へ移り変わるころ、私にはささやかな楽しみがあります。それは、大好きな木の花々に出会えることです。木の花には白い花が多いのはなぜなのでしょうか。葉の緑と白い花のコントラストの妙に、いつもほおっとため息をついてしまいます。
 あれは、東日本大震災が起こった年のことでした。通勤で利用している駅のホーム近くに泰山木の木が数本植えられています。その木は見上げるような大きな木で、幹がすくっと立ち、伸びやかに枝を伸ばし、つややかな葉を見せていました。つぼみが膨らみ始め、あと数日で花が見られるところでした。私は、毎日、木を眺め、開花を待ちわびていたのでした。
 ある朝、ショッキングな場面に出くわしました。その木が、ばっさりと丸裸にされるところを目の当たりにしたのです。作業員の方は、手慣れた手つきでのこぎりで次々に枝を切っていきます。あっという間の出来事でした。枝が切られるたびに、木に宿る精霊の悲鳴が聞こえたように思いました。泰山木の花は芳しい芳香を放つ白い花、花は一日花で、散り際にはやや黄みを帯びます。その年は、幻の花となってしまいました。
 この光景がこころに刻まれたのは、震災の後でこころがささくれ立っていたからかもしれません。あれから2年。丸裸にされた木々たちは、いつの間にか枝を出し、葉が茂り、つぼみをつけるまでになりました。りっぱな葉を茂らせた木々たちを見ると、その生命力に深い感慨を覚えます。そして、木がここまで活力を取り戻すために、木に与えられたものがいかに多くあったかと思い至ります。水、光、大気、養分、大地、根、幹、葉、虫や小鳥たち、微生物、そして、時間・・・
 この木を見る時、カウンセリングでお会いした方々を思います。お会いする方たちは、こころが丸裸になった状態でおいでになることも多いのです。人は身もこころも寒さで震え、試練にあって身動きが取れないで立ちつくすしかできない時があります。こうした時、人のこころを温め、慰め、支えになるものは何なのでしょうか。答えは出ていません。
 でも、打ちひしがれていた方が、少しづつ自分を取り戻し、歩んでいかれる姿をみると、私たちのなかに確かに生きる力が宿っていることを実感させられます。そして、復活した木がそうであるように私たちにもたくさんのものが与えられていることも。

(茨城新聞「心の時代へ」2013/6/17 に掲載)




 

永遠のオードリー


 オードリー・ヘップバーン(Audrey Hepburn 1929~1993)は、あまりに有名な女優である。「ローマの休日」「ティファニーで朝食を」「シャレード」「マイ・フェア・レディ」などスクリーンに映し出される オードリーは、限りなく美しかった。でも、今日は、オードリーのもう一つの美しさについて語りたい。彼女の女優としての人生も素晴らしい。しかし50代後半から63歳で亡くなるまでのラスト・ステージこそ、オードリーは最も輝いていたのだと私は確信している。
 オードリー・ヘップバーンは1989年にユニセフの親善大使に任命されている。支援活動は内戦の続いていたエチオピアに始まり、ベトナム・バングラデッシュ・ソマリアなど世界各地に及んだ。ユニセフが支援する予防接種の普及、水道設備設置などに進んで協力した。
 胸に響く彼女の言葉がある。
「私にとって、最高の勝利は、ありのままで生きられるようになったこと。自分と他人の欠点を受け入れられるようになったことです。」
 このころの彼女の写真は、難民キャンプの痩せ細った子供を抱き、そのほほにキスをしている。その表情は優しく、その笑顔は人懐こく柔らかい。ありのままの素顔には彼女と共に歩んできた人生の皺(しわ)がある。ローマの休日の彼女も美しいが、このオードリーの素顔の美しさは、ほんとうに胸を打つ美しさである。私が思うには、女優ヘップバーンは、世界中で愛されている。その女優人生は見事だ。しかしそうであっても、いやそれゆえに、彼女は素顔の自分、挫折も苦しみもあるこの自分の人生、ありのままの自分を受け入れたかったのだ。欠点も問題もあるこの自分を受け入れ、抱きしめたとき、彼女の心は自由になった。そして他人を愛し世界を愛し、飢餓に苦しむ子供たちを抱きしめた。
 最も大切なことは、オードリーが残した言葉とテーマは、私たちのテーマでもあるということだ。この言葉は、単なる有名人の名言・格言ではない。オードリーを華やかで偉大な人とまつりあげるのは間違っている。彼女は、今も私たちのすぐ隣に素顔のままにいる。
 そして「人生で何が一番美しいか」を語りかけている。オードリーは永遠に生きている。




  

ほっとする

 食事していて私が「おいしいね」と言い、妻も「おいしいね」と言ってくれると、本当においしく感じられます。喜びを分かち合う人がいるのはうれしいことです。
 私が「困ったな」とため息をついたとき、妻が「困ったね」と返してくれると、なぜかほっとします。一緒に困ってくれるのは、苦しみや不安を分かち合ってくれることですから、ありがたいと思います。
 お釈迦様は「一切皆苦」(人生は苦である)と言いましたが、年齢を重ねるごとに本当にそうだと思いますし、私自身が救われる気がします。坂上二郎さんじゃないけれど、「何でこうなるの」と言いたくなるほど、次から次へと困ったことや苦しいことがやってきます。それでも夫婦で心を悩ませながら、「取りあえず、こうやってみようか」「そうだね」なんてことが言えると、問題と取り組む勇気が少しずつ湧いてきます。
 周りから理解されずに一人で悩むことや、「まいった」と言える相手がいないのは、とてもつらいものです。問題が解決しなくても(解決など難しいことが多いのですが)、誰か一緒に悩んでくれる人がいると、それだけでほっとします。
 以前、私たち夫婦は認知症になった私の父の在宅介護をしました。心身ともにへとへとになりましたが、妻は献身的によくやってくれました。しかし、その無理が重なって妻は身体を壊してしまい、父が亡くなって十年たつのに今も体調がすぐれません。私が「あの時は無理をさせて申し訳なかったね」と言い、妻が「本当に大変だったなぁ。でも二人してよくがんばったね」と言い、二人で苦労をねぎらい合うと、今でもトラウマになっているあのころのつらさが、多少癒される気がします。
 ほっとする、安心する、人心地がつく、ということは、苦しんでいる人が最も求めていることのように思います。それは誰かに自分をそのまま受け止めてもらう感覚であり、自分のことを理解してもらえている感覚です。そしてそれがあるからこそ、苦しみの中でも生きていくためのほのかな勇気が育つのだと思います。




   

機嫌よく暮らす

 人には人生の折々で向き合う課題というものがあるように思います。カウンセリングの場面を始めとして
様々な方のお話を伺っていると、その方の当面している課題が感じられることがあります。そのことをご自分で自覚しておられることもあるし、思いがけない形でこの課題に取り組まなければならないこともあります。
私自身もここまで生きてくる間にいくつかのテーマと取り組んできたように思います。後半生を歩みつつある
現在、私に与えられたテーマは、日々をいかに機嫌よく暮らすかということです。
 親を見送り、身近な人を見送ることが多くなってきました。そして、自分自身の生も有限であることを身に
沁みて分かるようになってきました。その限られた時間を機嫌よく暮らしていきたいと思うのです。
 機嫌が悪くなるのはたやすいことです。陰りを見せ始めた体力、気力、力まかせにやろうとすると体がついていきません。そこに忙しさが加わると不機嫌になりがちです。機嫌が悪くなると、落ち込んだり自罰的になったり、他罰的になったりします。そして、不機嫌は、伝染します。自分自身だけでなく周りの人も不機嫌にさせてしまいます。出来得れば、不機嫌を持ち越しながら暮らすのは避けたいのです。

 そんなことを思いながら、友人と話しをしていたら、「自分のいのちが与えられたものであると感じ、生かされていることに感謝している時には不機嫌にはなれない」と言われました。そうです、こころが感謝の気持ちで満ちている時には、不機嫌の風は吹きません。
 感謝する気持ちがこころに満ちている時、こころは穏やかで落ち着いています。その時、自分を生かしてくれている大いなるものに自分をゆだねることができ、我欲から離れることができます。そうすると、自由になり、生かされているいのちを大切にすることに目が向くようになります。
 「養生」という言葉がありますが、ていねいに自分の身体やこころの声を聴いていると、その時に必要なことが分かってきます。手当をすればよいのです。そうすることで、不機嫌にならずに機嫌よく暮らせるのではないかと思うようになってきました。不機嫌をなるべく引きずらないようにと心がけるようにしているうちに
少しは知恵もついてきました。
 まず、食事と睡眠に以前よりも気を使うようになりました。ご機嫌斜めになりそうなときには、無理をしないことも大事です。自力ではなかなかうまくいかないこともあります。そんな時には、他の力を借りて機嫌を
直すようにしています。頼りにしているものが二つあります。

 一つ目は、大自然の力を借りることです。私は田舎の自然の豊かなところで育ちました。子どもの頃にも、
つらい時や悲しい時、豊かな自然や生き物たちにずいぶん助けられて来ました。今もまた、空や星、月や太陽、自然の移ろいや木々、花々や小動物に大きな慰めを得ています
 先日こんなことがありました。カラッと晴れた日の朝のことです。洗濯物を干しに2階のベランダに上がると、鳥のさえずりが聞こえてきました。声はすぐ近くで聞こえます。声のする方に目を向けてみると、電線に
雀が2羽止まっていて、仲良くさえずっているのでした。驚かさないようにそっと見ていましたら、しばらくして飛び去って行きました。澄み切った青空とさわやかな大気に触れ、雀たちのおしゃべりに耳を傾けて、この日は、一日幸せな気持ちで過ごすことができました。
 雀は昔話にも登場します。里に住んでいて、私たちの生活に溶け込んでいるからでしょう。鳥の声が聞ける頭巾という話も出てきます。雀をかわいがるおじいさんおばあさんという話もあります。私たちは、ずっと昔から雀に代表される自然の生き物とのつながりを大事にして生きていたのではないでしょうか。

 二つ目は他の人の力を借りることです。人とふれあいの時間を持つこと、心おきなく話せる相手と場があると救われます。互いに自由に語りあえることができ、大事に思える人と交われることの何と有り難いことでしょうか。話しているうちに不機嫌は消えていきます。
 それから、深い話をするわけでなくても、人とあいさつを交わしたり、何気ないことを話したり、忙しく立ち働く人や散歩する人、子どもたちなどの姿を目にするとき、「皆、色々あるけど精いっぱい生きているんだな~」と感じて、力をもらうことがよくあります。人と触れ合うというのは、自分の中に新鮮な風を入れる力を持っているのです。

 こんな風に、まだまだ練習中ですが、一人で居ても機嫌よく、誰かと居ても機嫌よくいられるようになりたいと願いながら暮らしています。時には失敗することもありますが、締め切りがあるわけではないので、思いつめずに、楽しみながら機嫌よく暮らす術を会得していきたいと思っています。




    

心のキャッチャー・ミット

 当センターは専門のカウンセリング相談機関ではありますが、人々の心に備わっている「心のキャッチャー・ミット」を育んでいくための様々な活動にも力を入れています。この「心のキャッチャー・ミット」とは、センターが大切にしているカウンセリング用語です。
 これをわかりやすく言いますと、相手のお話を聴くときは、その話の内容だけでなく、相手の方のお気持ちや感情にも配慮し、それをキャッチングし受けとめようとするコミュニケーションの在り方のことです。コミュニケーションという「分かち合い」の中で、多くの人は「気持ちを分かってほしい」と強く望んでいるのです。ですからまずは、「そうですか、大変でしたね」や「そういうお気持ちだったんですね」や「よく話してくれましたね」などのように「受けとめる」対応の在り方が大切になってきます。これを「心のキャッチャー・ミット」と呼んでいるのです。
 あなたに相談している方は、「心のキャッチャー・ミット」でキャッチングされたことで、安心します。心がほっとするのです。「聴いてもらっている」と実感するのです。しかもそれだけでなく、「心のキャッチャー・ミット」で受けとめようとしているあなた自身の心の方も耕され、柔らかくなっていくことが多いのです。別の言い方をすると「心のキャッチャー・ミット」が育まれていくと、相手ばかりでなく、この自分自身を受けとめ直し、引き受け直す力がついてきます。この自分自身をキャッチングする力が育まれるのです。
 つまり、「心のキャッチャー・ミット」を育むことは、あなたのコミュニケーションを豊かにし、あなたのメンタルへルスをより柔軟にしていくのです。
 センターではカウンセリング活動をメインに、講座やセミナーを通して、また県内各地から研修依頼、講演依頼に応える形で、メンタルへルス向上の活動を展開しています。
 このような活動を通して、皆さまと共に「心の健やかさ」を求めてご一緒に歩ませていただきたいと思います。




  

本人の力信じて待つ

 これから登場するAさんのお話は、私が創作したものです。Aさんは、会議中、緊張から急な腹痛でトイレに行きたくなりましたが、静まり返った中、トイレに行きたいとは言い出せず、その時間冷や汗をかきながらひたすら我慢し耐えました。その後、また大事な会議でおなかが痛くなったらどうしよう、意見を求められて言えなかったらどうしようという不安でいっぱいになりました。そして仕事へ行くのがつらくなりました。私たちは似たような経験をしていることがあるように思います。
 一度失敗したり不安になったりする経験をすると、私たちはまたあの時のようになってしまうのではないか、もっと大変な事態になってしまうのではないか…と不安が募り、考えただけでも押しつぶされそうになり行動が起こせなくなってしまうことがあります。
 苦しいときは、これまでの自分の枠では対処しきれず、脱皮しようとしているときなのだと思います。自分自身の枠組み(考え方や捉え方)を打ち破り、苦しくつらい状況を美しい形ではなくても何とか乗りきると、一回りも二回りもそれまでとは違う、頼もしいその人になっているのを相談の中で目の当たりにします。
 苦しんでいる時に、本人の心の奥底からしか生まれてこない、かすかな自信やわずかな勇気のような薄皮を、周りがじれったがり外から引き剥がしてしまうと、ただれたり、化膿したりしてしまいます。つい手を出したり、よかれと思って先回りしたり、手助けをしたい気持ちになりますが、機が熟し自分自身の力で新しい皮を作りだすまで「本人の力を信じて一緒に待つ」ことが本当に本人のためなのだと、相談に来られた方とご一緒する中で毎回感じています。
 困難な状況を抱えながらも一生懸命、必死で生きている方に出会うと、いつの間にか自分まで励まされ、心が潤ってくるような気がします。「ケアする側がケアされる」と言われることがありますが、そこには、うそのない本音での関わり合いがあるからだと思います。冒頭の話に似た体験をされたある方は、数年後、新しい環境に進み、以前の体の症状に関して、「そんなこともありましたね」と笑顔でお話しされていました。一時的に本人が「弱さ」と感じられるものは次のステージへ進む一歩手前であり、周りにはその「弱さ」に向き合っている姿が、心の「強さ」に感じられるような気がします。

(茨城新聞「心の時代へ」平成27年11月26日に掲載)






編集後記9月号より

 夕暮れ時に知らない街を歩いていたら、道沿いに立派な神社がありました。白い犬を乗せたカートのそばで、熱心に祈る一人の女性。どんなことをお願いしているんだろう?あのワンちゃんは足が悪いのだろうか、それともただのセレブわんこか?いろいろ想像を巡らせました。
 幼い頃は自分に何か不都合なことがあると、「神様、一生に一度のお願いです!!」と何度も心の中で唱えていた記憶があります。今でも自分や大切な人の身に、大変なことが起こってしまったら、きっと変わらず語りかけてしまうでしょう。誰かに聴いてほしい、なんとか助けてもらいたいと願う気持ちは、いつの時代もどんな人にもあるものだなあと、しみじみ感じた秋の日でした。



 

編集後記10月号より

 天高く馬肥ゆる秋。さつまいもの収穫時期がきたことを二人の方が教えてくれました。私のランチ待ち時間と、あぁ美味しかったとお店から出てきた60代男性二人組の一服タイムが重なり、たまたまおしゃべり。家庭菜園で獲れたお芋を水道で洗った時に、見える紫色がどれだけ綺麗か、嬉しそうに語ってくれました。
 もう一人は趣味仲間のほしいも農家さん。繁忙期は朝方暗いうちから作業しているそうですが、お芋と作業している人の顔がキラキラ輝く瞬間があって、いつも感動するんだと太陽のような笑顔で話してくれました。
 お二人が見て感じた美しい瞬間を、おすそ分けしていただき、私の心はほくほくしてきました。日常の中に宝物のような瞬間を見つけられる人って素敵だなぁ。





編集後記11月号より

 私が通っていた小学校には、大きな銀杏の木がふたつ仲良く並んでいました。太郎、次郎という名前がついた立派な木で、でこぼこうねる根っこに躓いた子供は、私だけではなかったはず。
 冬に入ると東側の校庭の土は、降り積もったイチョウの葉でほぼ見えなくなります。その光景は「まるで黄色い絨毯のよう」という表現で、毎年子供たちの詩の中に登場します。イチョウの葉を胸いっぱいに抱え、思いっきり空に放り投げる。なんだかうれしくなって「わぁー」と叫ぶ小さな子供たち。なかなか終わりそうにない掃除に、ため息をつく大人たち。一年、また一年成長する姿を、太郎と次郎は微笑ましく見守ってくれているような気がします。



 

編集後記12月号より

 年の瀬を迎えました。例年この時期のセンターは、電話の鳴る回数が他の月に比べるとガクッと減ります。早めに閉店してもいいのでは・・・、寒いし暗いしと私の中にいるサボリーマンが囁くことがあります。しかし、それはいかんぞ!と、かろうじて存在する善良な自分が、なんとか抵抗し踏ん張っています。
 行こうかどうしようか迷い、ようやく決心した人から電話がかかってくるかもしれない。中には利用したくても、様々な事情から利用できない人もいるかもしれない。電話の向こう側を想像してみると、つながりのきっかけとなる誰かがいた方がいいのかなと思えてきます。
 今年も一年大変お世話になりました。それでは関根先生の言葉を皆様に。「いてくれてありがとう!」



 

編集後記1月号より

 明けましておめでとうございます。「心を奏でる」ためのカウンセリングセミナーは定員になりました。
 今回は私もウクレレスタッフとして参加させていただきます。多少間違っても皆さん優しいから、きっと笑ってずっこけてくれるだろう。なんとかなる、大丈夫!と信じています。
 一人一人が奏でる音色に耳を傾けながら、ゆる~く、ぽわ~んとその場にいられたら嬉しいです。参加者の皆さん、よろしくお願いします。さぁ相棒、ついに出番ですよ。



 

編集後記2月号より

 夏苅先生の自伝的エッセイ「人は、人を浴びて人になる」を読みました。なんて濃い人生なんだろうと圧倒され、しばし呆然としてしまいました。ぽかーんとした頭の中に、本とリンクするような音楽が流れてきました。それはEPОさんの「たったひとつの」という曲です。
 長い間家族との関わりに悩んだEPОさんが作った歌は、この世でたったひとりのあなた(私)がどんなに大切な存在なのか、聴いた人の心の深いところに触れ、思い出させてくれます。
 今回のレクチャーコースをきっかけに、夏苅先生の本と出会うことができて良かったです。私も出会いの力を信じていきたいと思いました。



 

編集後記3月号より

 待ちにまった春の訪れ。寒暖差が激しいので体調を崩したり、いつもより気持ちが揺れやすくなっている人も多いのでは。
 そんな時は身体の言い分や心の訴えをよ~く聴いてあげると良いそうです。本当はどうしたいのか、一番大切にしたいことって何だっけ?と。
 スキージャンプの高梨沙羅さんは、トレーニング後に30分瞑想することが習慣になっているのだとか。アスリートじゃない私でもできることなので、ちょっと真似してみようかな。その前に時間無制限のもぐもぐタイムをやめてみようか。そだねー!



 

編集後記4月号より

 今回見開きページを書いてくれたIカウンセラー(マンボウ)は、何事にも全力を尽くし、メラメラと燃える熱いハートの持ち主です。といっても松岡修造感は全然ありません。とても優しく、やわらかい雰囲気からは想像しがたいのですが、なんてったって長渕剛ファンですし、伝説のオールナイトライブにも参戦したのですから。
 数年前、Iカウンセラーが県外へ出張した時のこと。エレベーターが来て乗ろうとしたら、なんとそこには瀬戸内寂聴さんが!。たまたま一緒のエレベーターに乗り、握手してもらったそうです。こんな偶然、なかなかないですよね。やっぱりもってるなぁ~、見えない力に導かれ、守られています。





編集後記5月号より

 先日初めての方からカウンセリングを受けてみたいと電話がありました。センターを利用した友人がすごくよかったからと紹介してくれたそうです。そうでしたか~と答える声が少し高くなりました。
 カウンセリングルームでは、カウンセラーと来談者の方が一対一でお会いしてご相談に応じています。どのようなお話をされているのか、事務局の私は全くわかりません。もやもや、イライラ、ズキズキした感情にしっくりくる言葉を探しながら語り、暗い森の中を恐る恐る歩くような、静かな深い海の底に向かって潜っていくような非日常体験。思ってもみなかった宝物が見つかることもあるようです。気になった方はぜひ一度。お待ちしています。



 

編集後記6月号より

 最近、産業会館の1階から14階にあるカウンセリングセンターまで階段を使っています。一日一回その日の気分と体調に要相談し、いけそうな時だけやってみようと気まぐれに始めました。タッタタッタとリズム良くいけたらいいのですが、決して無理はしないが信条なので、リハビリですか?ってぐらい一歩ずつ踏みしめ味わう速度で。
 最初のうちはすぐに足が止まり、踊り場で何度も休憩。なんでのぼっちゃったかなぁと後悔しつつ、下から誰かの足音が聞こえてきたら、ほれ行けと自分に喝入れしぶしぶ上る。そんなこんなで14階までぜぇぜぇいいながら辿り着いています。
 楽々上がれる身体の使い方はないものか日々お試し中。苦しい道のりがちょっと面白くなってきました。



 

編集後記7月号より

 ワールドカップロシア大会で寝不足が続いていた人は、少しずつ睡眠負債を解消している頃でしょうか。ぐっすり眠りたくても、こう寝苦しい夜が続くとなかなか疲れがとれない方も多いと思います。ちょっと仮眠をとったり、食事のバランスに気をつけるなどして、体調を整えていきたいですね。
 この前ストレスコーピング(対処法)について教えてもらいました。質より量が大事で、自分なりに簡単にできる対処法を数多く持っていると良いそうです。私の場合は…何だろう。今はありがたいことに、抱えきれないほどの大きなストレスはありません。あっ!ストレスがない人は、たいてい周りの人のストレス原因になっているんだった…。周りの皆々様、多大なるストレスをおかけしてすみません。どうぞ旅にお出かけください。



 
 

編集後記8月号より

 先月末に祖母が亡くなりました。最後は苦しむこともなかったと聞いて、ほっとしています。何故か皆で93歳だと思い込んでいましたが、葬儀会社の人から、誕生日前なので92歳ですよと教えてもらい苦笑い。しっかり者は誰一人いなかったか…。それでも優しい祖母のことだから、にこにこと私たちを見ていてくれたような気がします。
 震災後から施設に入りましたが、足腰がまだ丈夫だったころは仲間とゲートボールを楽しんでいました。葬儀の時、審判の資格まで取っていたことを初めて知りました。心の中で何も知らなかったことを謝りながら、祖母にすごいね~、頑張ったねと話しかけました。




  

ありのままで


 私事で恐縮ですが、数ヶ月前突然父が倒れました。脳出血でしたが、幸い一命をとりとめ、現在はリハビリ専門病院に転院し、機能の回復に努めています。家族としても少しホッとしている所です。
 今回父が倒れたと聞いたときには、「どんな形でもよい、生きていてくれさえすれば」と心底思いました。自分自身は、将来何かあったら余分な延命治療は受けたくないと思っていても、父の事はとっさにそう思いました。それほど、私にとってかけがえのない存在だったのです。
 父は、まさに子煩悩で、私たち兄弟の事を何よりも大切にしてくれる人でした。無口で優しい父と、快活で叱ったりしつけたりする役は母という両親のもとで育ちました。特に近年父が現役を引退した後は、私が仕事をしながら子育てをする中で困った時に、夫と私のそれぞれの両親4人が健在な中、何があっても必ず助けにきてくれるのが父でした。
 父の関わり方は独特で、孫や私たちに何かを求めたり、特別なことを何かしてくれたりするわけではないのですが、こちらが困った時には必ず助けてくれました。父がそのときに、何かを犠牲にしていたりもしたのでしょうが、そうしたことはほとんど言わずに助けてくれました。本当にありがたくホッとしたものです。また、父は何かを求めないので、当然人を責めると言う事もほとんどなく、結婚してあれこれとせわしなく追われる日々の中、たまに実家に帰って新聞を読む父の隣りにいると、安心して心がゆったりと落ち着くのを感じました。
 
 人生で思うように生きられなくなった時、たとえば、頑張っても結果が思うようにならなかったり認めてもらえない時や、職場・学校・友人・家族等の中で自分の存在が大切にされていないのではと感じた時など、不安や絶望や孤独を感じます。こうしたとき、さらに「こんな自分は生きていて良いのか」という思いにまで至る事があるように思います。
 このような危機的な時に、「ああでなくても、こうでなくても良いのだよ」と、あるがままの自分を受けとめ、受け入れてくれる誰かがいると、だいぶ心が和らいできます。そして、自分のことを、流行語にもなった「ありのままで」受け入れる事ができるようになるように思います。
 相手を「あるがままに受けとめる」ということは、どういうことなのか?どうしたらできるのか?これまでも、色々考えてきました。そのひとつには、相手に求めすぎないということがあるのでは?と父からおしえられたように思います。「ああしなさい」「こうしたほうが良い」…と相手の事を思っての言葉であっても、相手は求められたり期待されたことに応えようと頑張るでしょうし、応えられないと失望させた事に自責的になります。相手に期待したり、求め過ぎてしまうことは、時に「あるがままの状態ではダメだよ」というメッセージにもなってしまう場合があるのではないでしょうか?
 父は、私に何かを強く求めた事はなかったように思います。そして、私自身が自ら頑張ったことで喜んでいると、傍らで一緒に喜んでいてくれたように思います。しかし、自分が親になってみると、そうした事がいかに難しいか思い知らされる事があります。日頃の色々な場面で求めすぎている自分に気づくこともあります。周りの物事や生きて行く中で出会う様々なことをありのまま受け止め、ありのままの自分とは何か見失わないで過ごす事は、意外と難しいなあと思います。
 いつか私も父のように、あるがままを受けとめる事ができるようになり、求められた時に誰かを助けられるようになることができたらと思うこの頃です。

 メンタル・ケア ネットワーク 2014/12月号に掲載




  

宇宙からの贈り物


 私は、昨年の12月初旬辺りから、あることをきっかけに以前に比べて心穏やかに生活できている。この出来事が不思議だったので、簡単に紹介してみようと思う。
 私はお昼休みにスマホでお気に入りのブログを見ているのだが、そこに次のような記述があった。『もしよければみなさんもこの実験やってみませんか?思考が現実になるかどうか試してみましょう。「私は、48時間以内に、願いをかなえる宇宙エネルギーの存在がはっきりわかる贈り物をもらいます。」と宣言してください』これを見た時には「何バカなことを言ってるんだ。」と思ったが、その実験をブログで紹介した人は力のある気功師のようなので、試しに心の中で宣言してみた。
 その日の夜に『人を見たら神様と思えー「キリスト活人術」の教えー』という電子書籍を購入した。前から存在は知っていたがなんとなく怪しいと思って素通りしてきたものだ。だが、その時は何か気軽に読めるものを探していたのと、無料で読める会員特典があったので冷やかし程度で買ってみた。しかし読み進めるにつれ目が離せなくなり、同時に目から鱗が落ちるような衝撃を感じた。内容を少し引用してみる。
 『<活人術の一>「損なクジを引く。スーパーに買い物に行った時、牛乳や野菜ジュースを買う時に、いちばん古い日付のものを買う。前のお客さんが棚から商品をポトンと落とすのを目にしたら、あなたはその人の姿が見えなくなってから、その落ちた商品を拾って買う。電車に乗る時は、いちばん最後に乗り、バスから降りる時もいちばん最後に降りる。荷物が多くて疲れて座りたいという時は構わないが、元気な時は座らないで立っている。運よく座れても、誰かが席を探していたら、ゆずる。これが活人術の初歩であり、最も大事な部分です。それを続けているうちに、何かが変わってきます。ある時、必ずあなたは気付きます。「ああ、何となくこんな風によく回っているのだ。と。なぜかというと、神様が助けてくださるようになるからです。神様はどういう順番で人間を助けてくれるかというと、弱いもの順です。強い人を神様は絶対に助けません。弱い人、最も弱い人、最も損なクジを引いた人、そういう人しか神様は助けてくれません。だからこそ常日頃、最悪の、最も悪いクジを引く人生を選ぶのです。』
 「なんだこれは!」と思った。そして、「ああ、自分はこれまで損をしないようにしないようにとやってきたんだなあ。」と気づかされた。スーパーではもちろん一番新しくてきれいな商品を買い、レジは一番早く順番が回りそうなところに並び、少しでもモタモタして他のレジより遅くなると「早くしろよ。」と思ったりしていた。車を運転する時には遅い車にイライラし、二車線になるとどんどん抜かし、赤信号に捕まると「ああ、ついてない。」と思ったりしていた。私には「損はしたくない」という思考と行動が染み付いていることに気づいた。
 いつからどういう訳でこうなってしまったかは定かではないが、もしかすると日本が競争社会だからなのかもしれない。そうだとすると普通に生活していると知らず知らずのうちに、できるだけ損はしたくないとなってしまうのかもしれない。見回して見ると私と同じように生きている人はたくさんいる。
 若干の抵抗はあったが、思い切って「損なクジを引く」生き方に変えてみようと思った。まずは、スーパーで食品を買うときに一番賞味期限が近いものを選ぶようにした。車の運転では、他の車が遅くても構わないと思うようにした。急いでいるときは、前の車が遅いと「遅いなあ。」と思うのは変わらない。以前は、そこでなんとかしようとしたけれど、「仕方がない。」と諦めるようにした。
 こういう風に意識を変えると、不思議なことに気持ちが楽になった。何かがストンと落ちたような感じだ。損をしない生き方というのは絶えず気を張っていて他者のスキを突くような生き方なのかもしれない。実はそれは精神的に疲れることで、他者に対しても心を閉じた冷たい態度になる。他者も同じような生き方をしているとトラブルにもなる。「損はしたくない」という連鎖からはずれることは、心が穏やかになる秘訣なのかもしれない。なんとなくそんな風に感じるようになった。
 後になって、「ああ、これが宇宙からの贈り物だったんだな。」と思った。宣言してすぐにこの本に出会い、衝撃を受けて生き方を変えようと思った。「もったいない」という言葉があるように、損をしてもよい生き方を実践している人はたくさんいる。しかし、それまでの自分には引っ掛からなった。今回の雷が落ちたような出会いは、私にとって人知を超えた宇宙からの贈り物だったに違いない。
 興味を持った人はお試しあれ。

 参考  『Amebaブログ 秒速の療術師@kaz  2015/11/21記述』
     『人を見たら神様と思えー「キリスト活人術」の教えー安江邦夫』 




  

晴れやかな日も、雨の日も


 口元に赤い吹き出物ができました。口の周りは胃腸の調子が悪いと荒れると聞いたことがあるな…、食生活が乱れていたのかな…、生活リズムが崩れていたのかな…。そのうち赤いブツブツはどんどん大きくなり、3~4つあったブツブツ同士が合体し、1~2日の間に大きな目立つものになりました。しかも、チクチク、ズキズキ痛いっ!のです。あった薬をとりあえず塗って様子をみていましたが、どんどんひどくなっている様子。そして、今度は顎の下までぽっこり腫れてきました。何か悪いものができてしまったのでは…と思いとても心配になってきました。そして、口元の吹き出物は、4日後ぐらいにはますますひどくなり赤黒く膿んでしまったようでした。いよいよ病院へいってみようと思いましたが、その日は日曜。ダメ元で日曜でもやっている病院を調べてみました。すると、日曜も診察しているところを見つけ、病院へ急ぎました。すぐに医師は「あ~、ヘルペスだね~。少しずつ治り始めているね。」と教えてくれました。顎の下の腫れのことも伝えると、リンパ腺が腫れているためとのことで、ひとまず安心しました。ヘルペスは、疲れているときにでやすいものだそうです。

 しばらくの間、心配なことがいくつかありました。仕事上の心配ごと、家族が病気になったこと…そんなことを考えていたら、ある朝、家を出て少したったところで、「あれ?電気ストーブ消してきたかな?」と気になりはじめました。コンセントを抜いたような…、「よし大丈夫!」と確認したのは、昨日の光景だったかな…??と、落ち着かなくなりました。一度戻ると遅刻してしまいます。た・ぶ・ん・大丈夫… と出勤しましたが、やはり気になります。テレビでは、連日火事のニュースが流れていました。もし、近隣に火事が広がってしまったら… 考えれば考えるほど、心配になってきました。こんなに心配しているなら、お昼休みの時間に急いで家に戻って確かめてこようかな… この日は家に帰るまで、ずーっと火事になっていないかきがかりでした。もうここまできたら同じなのですが、帰りも急いで帰りました。家が目に入ったとき、「あぁ、大丈夫だった…」と心からホッとしました。口元のプツプツができ始めたのはその次の日からでした。

 昨年家族が病気になり、突然のことに動揺し、また「いのちには限りがある」という事実を改めて感じました。そんなとき、『がん哲学外来の話』(樋野 興夫著 小学館)という本に出会いました。以前から、「がん哲学外来」という科が病院に開設され始め、がんを患った方やそのご家族の相談に応じているとTVや新聞で目にしていて興味がありました。ですが、なかなか本を手にするまでにには至りませんでした。これからどうなっていくのだろう…という不安ばかりのとき、本のことを思い出しました。本にはがん患者さんとその家族に寄り添い、あたたかな希望の種をさしだしてくれるようなメッセージがあふれていました。例えば、『「する」ことより「いる」ことのやさしさ』などとという言葉があります。家族や身近な人ががんになったとき、どのように声をかけていいかわからないと悩む方へ、著書は『何もせずに、ただ、そばにいてあげれば、それでいいんです』と伝えます。また、「自分の病状について安心して話せる、じっくりと聞いてもらえる場がない」という悩みには、『暇気な風貌』で『脇を甘く』して、患者さんや家族が安心して話せる雰囲気作りに努めているそうです。そして、『がん患者さんは感受性が鋭敏です。表面的な気休めにすぎないことを口にしたらそのことを簡単に見抜かれてしまいます。言葉をとりつくろっても、真剣に死と向き合ってる人には通用しません』など、はっとすることを教えてくれます。ふと、この「がん患者さん」というところを、「悩んでいる人」に置き換えて読んでみても、同じことが言えるのではないかと思います。どの部分を読んでも誠実に相手のこころに寄り添う姿勢なのです。本の向こうから静かに、しかし、しっかりと崩れかけたこころを支えてくれてる人がいると伝わってきました。

 宗教の分野では仏教、キリスト教など宗派にとらわれず、終末期の患者さんやその家族、またお年寄りや身内を亡くされた方のそばに寄り添い、相手の話にじっくり耳を傾ける「臨床宗教師」という活動が広まってきているそうです。そして、がん哲学外来の活動は、がん哲学カフェという形でがん患者さん、その家族、がん医療に携わるスタッフ、がん領域に関心を持ってる方が集い、各々の立場の垣根を越えてがんや人生について語り合う市民活動に広がってきています。健康、健康でないに関わらず、また専門家、専門家でないにかかわらず、わたしたちはたくさんのものを抱えたり、背負いながら毎日を過ごしています。ときには誰かの支えが必要なときもあり、私も周囲の方の協力なサポートと本からのメッセージに何度も支えてもらいました。「お互いさま」という風土がこれからますます必要になってくるのではないかと感じます。心配ごとが少しずつ消化され、家族の病気がひとまず落ち着いたこともあり、口元の赤いブツブツ痕はようやく目立たなくなってきました。

引用文献:『がん哲学外来の話』 小学館 樋野 興夫 著

参考文献:『いい覚悟で生きる~がん哲学外来から広がる言葉の処方箋~』 小学館 樋野 興夫 著
     『がんと暮らす人のために~がん哲学の智恵~』 主婦の友 樋野 興夫 著 




  

「日間」なカウンセリング


 ある本を読んでいると、「暇」について次のような記述がありました。「ひま」は「日間」、つまり日の差し込んでいる間のことだというのです。「ひま」は、余計なものでも、価値の低いものでもなく、お天道さまに生かされている、私たちが生きていく上での中心的条件だというのです。これは先人の知恵で、「ひま」がなくなったら危ないよと教えてくれているのです。
 これは、カウンセラーでありメンタルヘルスのことを考える仕事をしている私にとって大変考えさせられることでした。「暇」という漢字から連想されるのは、余暇やレジャー、あるいは「暇を持て余す」などというもので、あまり積極的な印象を与えません。ところが、私たちの先祖の捉え方は、「日間」は私たちの命を守り、育む、なくてはならない生存のための条件というものです。
 ところで、人間はストレスにさらされたりして、苦しくなっている時は、心が硬くなり、寒くなり、閉じられていきます。カウンセリングという対人支援の在り方は、相手の心を柔らかくし、暖かくし、心が開かれていくことを願って行われます。例えば、不登校の小学生の娘さんのことで悩み抜いて相談に来られたお母さんが、「もう転校を考えるしかない。転校するにはどうしたらいいんですか?」と言われたとします。その時、カウンセラーである私は、転校に関する話し合いに入る前に「もう転校を考えるしかない、というお気持ちでここへ相談に来てくださったのですね」と応答します。これを「心のキャッチャー・ミット」といいます。まず相手のお気持ちを受け止めるのです。ご質問に答えながらも、なるべく丁寧に「心のキャッチャー・ミット」を出し続けるのです。
 なぜそれが大事かというと、少しずつですが、悩んでいる方の心に日が差し込んでくるからです。この「日の差し込んでいる間」が、つまり「日間なとき」が、多くの人の心を溶かし、暖めていくからです。その方の心が開かれ、日の光が差し込んでくるのです。
 心に「日間なとき」をもたらすには、「心のキャッチャー・ミット」が大切です。カウンセラーでなくても、誰でも相手の気持ちを受けとめる「キャッチャー・ミット」を出し合えば、私たちの心に余裕が生まれ、「日間」を大切にした社会が生まれるでしょう。


 茨城新聞「心の時代へ」 2016年4月8日掲載




 

「迷惑をかけない」とは?


 このところの熊本の大地震の報道を見ていると、日本中どこも安全なところはないのだなあ。3.11の震災の時は茨城も余震が続いて、ライフラインも途絶えて不便な中毎日心細かったなあと思い出し、熊本の方々の大変さを思います。
 3.11の震災の後、NHKの番組に歌人の俵万智さんが出演していました。1987年の「サラダ記念日」という歌集で一世を風靡した俵さんですが、いつの間にか7歳の子をもつシングルマザーになっておられました。東日本大震災のあの日、親子は仙台で暮らしていたのですが、仕事で東京に来ていた俵さんは、息子さんと再会するまで5日もかかったそうです。震災によるストレスのためか指しゃぶりなどを始めた息子さんを連れ、西へ西へと逃れて、現在は沖縄の石垣島で暮らしておられました。「逃げられる人はいいよね」といった非難も受けたとのこと。それに対して「震災後、多くの人が、自分は人生で何を一番大切にしたいかという事を考えただろう。私の場合は子どもだった。」と答えておられました。
 なかでも印象に残ったのは「私はこれまで子どもに『人に迷惑をかけない人間になるように』と教えてきました。でも、震災を経験して、人に迷惑をかけずに生きる事などできないのだ。迷惑をかけずに生きられるというのは奢った考えだ。と思うようになった。だから今は子どもに『困ったら人に助けを求めなさい。迷惑を掛け合って、自分にできる事がある時はだれかの役に立つように』と伝えるようになりました」といった内容の言葉です。

 私たちは日頃、職場でも近所でもお互い迷惑をかけないようにと思いながら暮らしているように思います。迷惑をかけてはいけないという価値観があまりにも強く働きすぎて、どんなに辛くても助けを求めにくい社会を作っているのではないでしょうか?
 もう一つ、これもテレビでの話ですが、だいぶ前に見たので記憶が曖昧なところもありますが、印象に残っているので書いてみます。
 確か東大の院生の若い男性が、東京での狭い集合住宅での暮らしに息が詰まり、下町の古い木造の一軒家が安く借りられるのを知って、奥さんと住み始めました。現在はお子さんも生まれ家族4人で暮らしておられました。その家に合わせて懐かしい昭和初期の生活をしており、昔よくあったガスコンロで炊く炊飯器や、金色の丸いヤカン、ボンと音がして火がつくガス湯沸かし器などがあり、台所脇の床板を外すと大きなたらいが表れ行水程度ではあるけれどお風呂として使っていました。
 そんな生活がとても気に入っているとのことでしたが、住み始めた頃は、とても困った事があったそうです。というのは、夕食時になると縁側に近所のおじいさんが一升瓶を持って必ず現れ、ひとしきり下町での暮らし方を一席ぶって帰るのだそうです。「人付き合いはわざと借りをつくることが大事。醤油がなければ、コンビニなんかに行かず隣りのうちに借りに行く。そうすると、隣も困ったときには気兼ねなくあんたを頼ってくれるってもんだ」と。便利になった今では隣近所にお世話になることもなく、付き合いが疎遠になっています。それじゃあいざという時に困るのだと教えられ、今では、田舎から野菜が送られてきたら配って歩き、帰りにおかずなどお裾分けをもらうという近所付き合いをしているそうです。
 「迷惑をかけない」という価値観があった一方で、昔の下町の人付き合いでは、あえて借りを作って垣根を
低くするという方法を使っていたのだなあと思いました。現代の都市部の生活は、便利さを追求し、近所付き合い、親戚付き合いをしなくてもやっていける社会になっています。付き合いで生じる人間関係の煩わしさから逃れようという傾向もあります。しかし、ひとたび震災のような出来事が起きると、一人で対処できず、町の人が力を合わせてがれきを片付けるといったつながりや励まし合いが必要なんだということを思い知らされます。昔の下町の人たちは、人間の弱さをよく知っていたからこそ、日頃からの付き合いを大切にしていたのだろうと思いました。

 これに関連する事として、私が心理学を学んで初めて「そうなんだ」と思ったのは、ある先生が「本当の自立とは、適度に周りに依存できる事です」と黒板に書かれた時です。それまで、自立とは誰にも迷惑をかけず、一人で生きて行く事だというイメージだったので驚いたのです。人間は迷惑をかけることなく一人で何でもできるほど強くない。また、一人で頑張りすぎてポキッと折れてしまえば、適度な依存どころか、多大な迷惑をかけてしまう。そうなる前にしなやかに周りに助けを求めて、支え合って生きていくことが本当の自立なのだなあと思いました。
 「迷惑をかけずに」と肩肘張らず、もっとお互い安心して助けを求め、支え合う事ができることを大切にして行きたいなあと思うこの頃です。




 

ニューフェイスのご紹介♪


 みなさんこんにちは。4月から専任カウンセラーになりました。
 私がカウンセリングに出会ったのは、大学院生の時です。授業で興味を持ち実際にカウンセリングを受けてみました。すると高校生の時から人知れず悩んでいたことが解消されてしまったのです。それまでは自力で克服しようとしたり、心身を鍛えようと大学では空手道部に入り主将をやったりしていました。それでもどうしようもなかったのが、カウンセラーに話を聴いてもらっているうちに、「自分は自分でいいんだ」と思えるようになりました。悩みがある弱い自分でもいいと思えたら、そのうち悩みが気にならなくなり、意識しないようになったらいつの間にか消えていました。今でもふとしたことで出ることはありますが、それはもう問題ではなく、自分自身であり、また自分の状態を教えてくれるサインでもあります。やはり悩みは「宝」なのですね。
 まだまだ未熟なところもありますが、少しずつ慣れていこうと思っています。どうぞよろしくお願いします。


    ★出身    筑西市
    ★血液型   O型
    ★好きな動物 かわうそ
    ★好物    鳥から南蛮
    ★趣味    健康法の実践
    ★研究テーマ 悟りについて




 

生きる姿勢を見直す ~親の死と介護を通して~


 両親の世話、母の死、残された父親の介護で明け暮れたこの1年間は、私の「生きる姿勢」を根本からみつめざるをえない機関でもありました。二人暮らしの両親は、私の妻が定期的に通って世話をしていましたが、昨年から急速に心身の衰えが目立ち、私たちの負担も重くなっていました。母は昨年7月に入り体調を崩し、家庭医は夏風邪との診断でしたが、回復しないため8月上旬に別の病院に入院すると「末期ガンであり余命は1か月」と宣告されました。思ってもみない事態でしたが、私は医師に、無理な延命措置は希望しないがガンの痛みだけは和らげて最期を迎えさせてほしいと頼みました。

〇死を受け入れることの大変さ
 母は、入院後二週間で83才で亡くなりました。入院直前に母は「生き神と死に神が自分をめぐって争い、生き神が勝った」という夢をみて、自分の回復を信じようとしました。また入院当初、母は「これまで上れなかった白くて高い階段が目の前でスーッと平らになった」という夢をみました。事態を承知していた私と妻は夢を「あの世への階段が登れるようになった(=死が近づいた)」と解釈しました。逆に母は「これで私は助かる」と解釈しました。このように死への不安がとても強い母でしたので、母をパニックにさせる可能性が高いガンの告知は結局できませんでした。
 一方89才になる父は、母の入院すら理解できないほど痴呆的状態が進んでいましたが、無意識のレベルでは「家で葬式が出た。自分が喪主だ」という夢を見て状況を認識していました。そして何度か母を見舞う中で、苦しみつつ意識が薄れていく母を見て、父は母の手を握り「可哀想になぁ。でも誰でも一度は通る道だからせめて楽に逝かせてやりたいなぁ」としみじみと語りかけたのには、感慨深いものがありました。
 母は危篤状況になっても苦しそうな息をしながら必死に生き続けようとしました。私はそんな母に「もうがんばらなくてもいいよ。楽になっていいんだよ」と語りかけました。それは私の本心でしたが、意識もなくなり大部分の身体機能が壊れてもなお生きようとする生命体としての母の姿も強烈なものでした。母がやっと息を引き取った時、私は「よくがんばったね。安心して休んでいいよ」と母の頭をなでてやりました。
 高齢になると死を比較的穏やかに受け入れるようになると言う人もいますが、母や父をみていると、人それぞれだと思います。父は「別な世界から自分を呼ぶ人がいたので、怖くて逃げた」という夢を、高齢になって何度も見てます。また親しい知人に「自分はいつ死んでもおかしくない年齢になっているが、それは正直とても怖いことなのです」と話しています。このように死を受け入れることは、年齢を問わず人間にとってとても大変なのだということを、あらためて感じさせられたのです。

〇安心して死ぬということ
 何人もの人から「お母さんを亡くされて悲しかったでしょうね」と言われました。しかし私は母が死んで悲しいという感情は起きませんでした。涙も出ませんでした。当事者として気が張っていたせいもあったでしょうが、それよりどこかほっとした感覚でした。それは私の妻も同じだったと思います。特に妻は、この数年間自分の体調を大きく崩しながら両親の世話を献身的にしてくれました。「悔いが残らないように精一杯やってあげたい」と常々話していた妻でしたが、母の入院時はもう心身の限界を超えた状況でした。看病や介護で疲れ切っていた私たち夫婦は、母が入院後短期間で亡くなったことに救われたのかもしれません。つまり人の死をめぐっては、深い悲しみややり切れない思いに満ちた死もあれば、最も身近な者がほっとする死もあるのだということに気づかされました
 こんな時『チベットの死者の書』を思い出します。それはチベット仏教の経典で、死を迎えようとしている人の耳元で僧が語り聞かせる「死後の魂の導きの書」です。その基本的なメッセージは「誰も安心して死んでいいのだよ」ということです。私は何と温かくやさしい姿勢だろうと思いますし、母にも伝えたかったことです。そしてそれは、それを聴いている家族や友人たちに対して「安心して死んでいいのだから、苦しみや悲しみを抱えていても安心して生きていいのだよ」という悲しみのメッセージでもあるのです。

〇死を自覚して日常を生きること
 昔の人々は死を直視し、死ぬことから生きることを学ぼうとしました。人間には必ず死が訪れること、しかもいつ死ぬかわからないことを自覚した時、本当に大切なことが見えてくるはずだと。これは老いることについても言えると思います。社会的な地位や評価、収入や外見など、私たちは自分と他人を比較して一喜一憂します。学歴や経歴や家柄にこだわる人もいます。確かにそれらが実際の生活に影響するので、生きる苦しみの原因となるのですが、死や老いの前では、それは何の役にも立たないことを思い知らされます。
 自己理解の実習で「あと3か月しか生きられないとしたら何をしたいですか」という問いかけがあります。
毎日を生きることで精一杯の私たちにとって、死ぬことの自覚は不思議な感覚をもたらします。「自分は結局何を大切にしたいのだろうか、大事なことを見失ってはいないだろうか」と。それは、自分の歩んできた人生へのふり返りと今の生活状態や人間関係への見つめを、次元の違う視点でさせてくれます。

〇互いに助け合って生きること
 老いていく人の介護の大変さは、母の死後父と同居して本当に実感しました。もっと大変な人がいると思うにしても、私たち夫婦は心身共に疲れを蓄積していきました。そんな中で大切なことも見えてきました。一つは介護当事者の関係性です。自覚して夫婦が助け合うこと。特に夫が、家事や介護の中心にならざるを得ない妻と、一緒に悩み一緒に行動すること。仕事に逃げず、家族と歩むエネルギーを家庭に持ち帰ること。必要な時は外部の非難から家族を守ること。そのようにして苦しい現実に目をつぶらずしっかり味わうことに努力すれば、それを引き受けて生きていこうという腹構えが静かに湧いてくるものです。老人介護は「解決する」など簡単に言えない重たい現実だからこそ、その重みを共に背負う関係がなければ当事者はつぶれてしまうこともわかりました。
 二つ目は、介護者をサポートする姿勢です。私が「どうしたらよいものでしょうか」と誰かに嘆いた時、何かアドバイスや励ましを求めているのではないのです。そう言わざるを得ない思いや事態をわかってほしい、つまり「聴いてほしい」のです。また介護者にはねぎらいの言葉が必要です。介護に限りませんが、限界状況でがんばっている人に対しては、ねぎらいの言葉を欠いた評価やアドバイスは心に突きささる刃になります。ですから職場でも家庭でも、お互いの生きる世界や思いに真剣に耳を傾け、理解し合い支え合う関係こそが力になると思います。最近私は、介護者へのサポートシステムを充実させるという次元で、当センターが地域に何か役立てないだろうかと考え始めています。
                  
                     (2003年 2月 メンタル・ケア ネットワークに掲載)  




 

飲み二ケーション?麻雀二ケーション?

 「賭けない 飲まない 吸わない」 いったい何のスローガンでしょう?実は日本健康麻雀協会が掲げる健康麻雀のスローガンです。かつて麻雀はサラリーマンの必修科目の一つでしたが、今ではすっかり陰が薄くなりました。ところが今その麻雀が高齢者の間では人気のゲームになっています。指先を使い、役を考え、計算をし、合間には会話をする。まさしく認知症対策にはもってこいです。一方、若い人はもっぱらオンライン麻雀だとか。時代の変化に合わせ、麻雀もしぶとく生き残っているようです。




 

ボビー・バレンタインの言葉

 プロ野球に詳しい人なら、元ロッテ監督のボビー・バレンタインをご存知の方も多いだろう。彼はアメリカ大リーグの監督としても手腕を発揮した。そのバレンタイン監督が、先日NHKBS-TVで「奇跡のレッスン」という番組に登場した。彼が指導するのは、千葉県松戸市のどう見ても強そうではない少年野球チーム。監督に与えられた時間は1週間。その最終日に、全国大会に出場している強豪チームと試合をするという設定である。しかし、この見え透いたシナリオを、バレンタインはさして気にしていないのである。
 百戦錬磨のバレンタインは、野球の守備面でも、打撃面でも、きわめて分かりやすく子どもたちを指導していく。しかし彼の真骨頂は、技術面の指導よりも、むしろ子どもたちが自分自身の可能性を強く信じることができるようになる指導法にある。

 バレンタインが繰り返し語った言葉を紹介しよう。
◇「経験は教えられない」
 バレンタインは「失敗を恐れるな」と何度でも言う。むしろ三振しようが捕球に失敗しようが、そこに向けられた「努力」と「チャレンジ」を大切にする。人は経験を通して学んでいく。たとえ失敗してもその経験は宝物。その経験を誰かが教えることはできない。だから勇気を持った子供たちのプレーには心からの拍手を送ろう。たとえそれが失敗であっても。

◇「なぜ失敗を恐れると思いますか」
 これは親たちに向けられた言葉。バレンタインは言う。「それは、子どもがあなた(親)をがっかりさせたくないからです」「それはあなたを失望させたくないからです」。子どもは最も愛する親を失望させたくないのだ。自分を最も愛してくれている人をがっかりさせたくないのだ。私はこの言葉に感動した。バレンタインは、失敗を恐れるのは「よく見られたいからだ」「叱られたくないからだ」とは決して言わない。
 「お父さん、お母さん、子どもはあなたを愛している。だから勇気ある失敗をほめてください。がっかりしていない。失望していない。むしろ勇気をもらっていると。」親たちの感動している表情が映し出された。実はこれが「奇跡のレッスン」だったかもしれない。
 さて、1週間後の強豪との試合はどうなったか。2試合して、1試合目はぼろ負け。相手が強すぎる。しかしバレンタインは子どもたちを集めて言う。「失敗を恐れるな。目に見えてうまくなっている」。2試合目はなんと最終回にチームは追いつき、7対7で引き分ける。
 泣きじゃくる子どもたちを抱きしめながら、バレンタインは語る。「君たちの勇気を忘れないよ」。

                   ※「栃木いのちの電話」の機関紙「絆」 2016年6月号に掲載




 

走る

 あろうことか、今の私の生活の一部に「走る」ということがある。私が「走っている」と言うと、必ず「えっ!」と意外な顔をされる。何より私自身、こうして走っている自分のことを意外に思っている。小さい頃から本好きで、運動が得意だと思ったことはない。そんな私が「走る」ようになるのだから人間とは解らないものである。
 なぜ走るようになったのか?色んな要因がタイミングよく働いたのだと思う。最初は5年前の母の日、母と私で近くの大きな公園に散歩に行った。女同士尽きせぬおしゃべりがあるのだが、つい私が遅れてしまう。1~2メートル離れては小走りで母の横に並んで、を繰り返し、とうとう母から「あなた、だいぶ歩くの遅いわね」と言われてしまった。車での移動が多く、近くのお店へも車で行ってしまう自分に気づいてはいたが、高齢の母にこんなに離されてしまうとは。確かにまずいと思った。年とともに代謝が落ち体重もここ10年右肩上がり。とは言え、教育費のかかる思春期の子どもがいる時期で、スポーツジムなどに行くのもためらわれる。折しも、NHK教育テレビで同年代の野々村真くんがフルマラソンに挑戦する番組をやっていた。数キロ走ることもままならない野々村くんが、少しずつ走れるようになっていく。「それなら私でも・・・」とテキストを買い、走ることにした。近くに大きな公園もある。これまでは、のんびり犬の散歩をしながら、ランニングする多くの人を「苦しいだろうに、なんで走っているのかねえ」と冷ややかに見ていた自分が走ることになるとは・・・。
 初日、公園を2周、3km走った。走るのは久しぶりで、息も上がるし体が重くてかなりきつい。それ以上に翌朝ベッドから降りようとして「アタタタ・・」とすごい筋肉痛である。早くも挫折しそうだった。しかし、野々村くんもそうだったと思い直し、2~3日おきに走るように書いてあるテキストに従って3kmずつ走り続けた。その頃、市民ランナーでもある当時の専務理事に走り始めたことを話すと、しっかりストレッチすれば筋肉痛も和らぐと教えてもらった。1か月もすると足の痛みはだいぶなくなり、5kmを走れるようになっていた。こんなに変わるものかと嬉しくなった。
 次に専務理事から「どこかマラソン大会にエントリーするといい」とアドバイスを受けた。ええ!私が?と思ったが、ちょうど11月につくばマラソンがある。10kmにエントリーした。それまでは走ろうと誘っても嫌がっていた夫だったが、心配だから伴走するつもりになったらしく一緒にエントリーした。10kmも走れるだろうかと思ったが、1kmずつ距離を伸ばし、10月のある日10kmを走りきった。「できた!」と公園の芝生に倒れこみながら、一人なんとも言えない達成感を味わった。大会当日、大勢の人とお祭りのような騒ぎにものすごく緊張したが、なんとかゴールした。嬉しさと、味わったことのない清々しさを感じた。
 それからは、私も夫も「走る」ことにハマった。次の年の4月に10マイル(約16km)。そして、その秋のつくばマラソンで、とうとうフルマラソンをどうにかこうにか完走した。忙しい年は距離を減らしたこともあったが、年に2回大会にエントリーしながら走り続けている。

 さて、その効果は?夫は2年ほどで12kgも体重が落ち、タイムも少しずつアップ。一方私は、目に見えるほどではないが5年間で5kgの体重減少。しっかり食べられてよく眠れるのもありがたい。体に良いことをしていると思いたいところだが、それだけでなく心に効果があるのでは?と思っている。
 私は、何かあるとあれこれ考えてしまうタイプではないかと思う。大きな問題となると、それこそ頭から離れないという状態になることもある。人生とは生易しいものではないので、時にストレスフルになってしまうものだが、私のように、考えすぎて調子を崩すこともある。また反対に、人間は辛いこと、受け入れ難いことから自分も守る為に、防衛機制と言われる心の働きがあると言われるが、辛いこと、受け入れ難い思いを押し込める「抑圧」や、別の問題にすり替える「置き換え」や、そんなことないかのように「否認」することさえある。一時的には、自分を守る為に必要であるが、長期化したり、あまりに防衛機制が強く働きすぎてストレスと向き合わなかったりする場合も問題となる。つまり考えすぎても良くないので、ほどよく考えられれば良いのだろうが、なかなか難しいものである。
 走り始めた頃、思春期の子どもとの毎日は、口を出せば反発されるし、見ていればイライラするというストレスがあったが、そんな時は走りにいく。最初は「まったく」などと思って走っているのだが、そのうち「しょうがないか」とか「なるようになるでしょう」となり、だいぶスッキリする。
 仏教や最新流行のマインドフルネスでも、「今ここ」の体験に気づき、それをありのままに受け入れ、とらわれのない心を目指しているようだが、何かにとらわれた時、走っているととらわれがほどけて行くような気がする。幸い自然が残されたコースを走っているので、ある程度の距離を走ると、四季の移ろいが五感を通じてありありと感じられ、自分の呼吸、草木の香り、肌を通り過ぎる風、自然の中に自分が溶け出して行くような「ああ生きているんだな」という感覚だけになることがある。
 ちょっとやってみようかで始めた「走る」こと。身体ばかりでなく、思いがけず私の場合は、何かにとらわれて考えすぎてしまうのが止み、心がスッキリするという効果があるように思う。悩みがなくなるわけではないが、悩みとほどよい距離が取れ、心が落ち着いてくることはありがたいことである。いつまで走れるのかわからないが、体が動くうちはゆっくり自分のペースで「走る」ことを続けてみたいなあと思っている。




  

近況雑感

◆ストレスチェックがスタートして1年。11月末が1度目の実施期限となります。実施した事業所の話を伺う と、高ストレスであり面接指導が必要であると評価されても申出を行わない方がたくさんいらっしゃるよう です。厚生労働省では、このような場合には気軽に相談する窓口を用意するなどして、高ストレス者が放置 されないよう取り組むよう促しています。当センターは、どなたでも利用できるカウンセリング機関です。 ぜひ当センターを活用してください。

◆今年度のカウンセリング講座がスタートしました。当センターの講座は特に何か資格につながるものではあ りません。しかし、実践・体験を重んじる講師陣による講義は、日々の生活で起こりうる悩みや苦しみにど のように向き合っていけばいいのか、共に考える場を提供してくれます。受講される方は、自らの悩みをこ の講座を通じて癒される体験をすることで、カウンセリングを学んでいきます。当センターの講座そのもの が、カウンセリングといっても過言ではありません。今年受講できなかった皆様、来年お待ちしております




 

 

「私の物語」を聴きながら

 最近、久方ぶりに生まれたての赤ん坊を抱く機会に恵まれました。小さな体を抱きあげた時に、その頼りなさと、無防備さに胸を突かれました。何と頼りなげで、なんと無防備なのでしょう。赤ん坊は人によって保護されなければ、いのちを落としてしまいます。いのちの行方は、全くこの世の人にゆだねられているのです。
そこには、世界が自分を生かしてくれるという信頼があるように思われます。
 私たちは、いのちを与えられ、この世に送り出され、その人生を始めます。時代も、国も親も選べない、受身としての生がそこにあります。そう考えると、私が、ここにこうして存在していることの不思議さをしみじみと感じます。自分が今日まで歩んでこられたのは、たくさんの力に助けられてきたからに違いないのです。

 私たちは、生まれた家で、そこに在る文化や風土を体験し、心の内に自分の軸となるものを育み始めます。これを内なる文化といってもよいのではないでしょうか。成長するにつれて、私たちの生きる世界はずいぶん広がりと、深さと多様性をもつようになります。そして、護られた世界から徐々に抜け出して、見知らぬ世界にふれていくようになります。例えば、子供の頃の小さな異文化体験を思い出します。親戚の家に初めて泊まった時の体験、家に漂う気配や空気感の違い、そこに住む人の関わり方、食事や作法、調度品、などなど、訪問者として行くと皆珍しく感じるものばかりでした。ちょっとワクワクする感じがしたことも思い出します。
 こうして異質なものと出会いながら、自分自身を少しずつ育てていくことになるのですが、異質なものとの出会いは、決して楽しいことばかりではありません。時には傷つき、戸惑うことも沢山あります。特に社会人
になると、人はそれまでより飛躍的に広い世界と出会います。その中で内なる文化を確かめつつ、外なる文化を取り入れ、バランスをとることを学んでいかなければなりません。
 この内的作業は、誰かに代わってもらうことは不可能で、どんなに拙なくても自分自身の手で挌闘しながら行わなくてはなりません。代替え出来ない厳しい側面があります。これは誰もが独自のやり方で苦労しながら
経験していることなのです。人生は思ったほど単純でなく、複雑さに満ちています。そうした中にあって、何と難しい作業を私たちは日々やり遂げているのでしょうか。この事実を私はカウンセリングの営みの中で発見しました。

 記憶があいまいなのですが、子供のころに見た番組で「人に歴史あり」という番組がありました。毎回、市居の人が登場し、司会者がインタビューしながらその方の人生を辿るという番組だったと思います。有名な人や功成り遂げた人ではなく、普通に暮らしている人に光があてられていたのが印象に残っています。年月を経るにつれ「人に歴史あり」の持つ深い意味について思いを巡らすことが多くなってきました。

 私たちはこころの内に、皆それぞれの物語を持っています。『私の物語』を紡ぎながら生きているのです。人は内なる物語については、そうやすやすとは語りません。こころの内に大切にしまわれているのです。でも、私たちは「私の物語」を語りたい、受け止めてほしいとの切なる願いを持っています。
 カウンセリングの場では、、この貴重な物語を聴かせて頂いているのです。人は苦しい時、揺らいでいるときにカウンセリングにおいでになります。語られる物語にじっと耳を傾けていると、人は様々な試練に遭いながら、何と豊かで多彩な人生を生きているのだろうかということを強く感じます。
 カウンセリングの中で語り手は、物語を語りながら自分を確かめ、こころを整え、バランスを見つける作業をしていきます。この作業の中で再び歩みを始める力を取り戻していかれるのです。こうした姿を目にするときに、私たちの中には生きる力が備わっているのだということをつくづく感じさせられるのです。そして、語ることには、人を癒す力があるのだと感じます。
 この、物語の持つ人を癒す力は、語り手だけでなく、聴き手をも癒す力を持っています。語り手の「私の物語」にふれながら、聴き手の私もまた、「私の物語」を歩んで行く勇気を頂いているのです。日々の暮らしの中で、ともすれば硬くなり、生気を失いがちな私のこころは「あなたの物語」にふれることで、生気を取り戻すのです。あなたが挌闘しながら歩いておられる、その姿に助けられているのです。私たちは一人で歩くけれど、独りぼっちではないのです。違っていても通じるものがあるのです。人にふれることで私たちは生きられるのです。

 世界は変化に富んでいます。この世に送りだされたばかりの小さな赤ん坊が、これから先、どんな物語を紡ぎ生きていくことになるのでしょうか。願わくば、自分への信頼感を育くみ、生まれ落ちた時のあの「世界への信頼感」を失わないで歩んでいってほしいと思います。私たちも、そうした願いを持った人たちによってここまで歩んでこられたのですから。




 

一度きりの人生味わう

 毎日メディアを通してたくさんの情報が入ってくる。そのたびに不安になったり、悲しくなったり、疑問を抱いたり、欲しくなったりと心が揺れ動く。諸行無常とはいうけれど、常なるものが無いこの世で果たして心の平安を得ることはできるのだろうか。どうすれば安心して生きられるのだろうか。このようなことをいくら考えても答えは出ないので、代わりに自分にとっての楽しみや幸せに思いを巡らせてみようと思う。
 私の楽しみは、なんといってもおいしい食事だ。といってもぜいたくな料理ではなく、妻が作ってくれる晩ご飯がたまらなくうまい。目の前にある夕食を食べているうちから「明日は何?」と聞いてしまう。比較しようがないからどのくらいおいしいのかは分からないけれど、私にとってはとてもおいしい。私にとっては、というのがミソだ。
 「おふくろの味」に似ているが「家庭の味」というものがあるのだと思う。最近になって我が家の食事も「家庭の味」になってきたようだ。一緒に暮らしているうちに目に見えない何かが混ざってくるのかなと思う。初めはゴツゴツしていたいたものが、次第に角が取れ、まあるくなり、包み込んでいく。そして、家族みんなでそこに入って慣れ親しみ、幸せになる。
 このように少しずつその家の味になっていくのではないだろうか。たまの外食もいいが、なんとなく料理に硬さを感じてしまい「やっぱり家で食べたいな」となる。もう一つの楽しみは、日々の瞑想だ。瞑想といってもさまざまあるが、私のやっているものは呼吸を大切にしている。鼻から息を吸い、吸った息を体の中に巡らし、鼻から出していく。体の中を巡らすのは簡単ではなく、気がそれたり考えごとが浮かんだりするときもある。そういうときには「一回の呼吸は一回の人生」という言葉を思い出す。吸って生まれて、吐いて死ぬ。次の呼吸は全く別の人生だ。そう思うと、この呼吸は一回限りなんだと思える。うまくいってもいかなくても一度きりの人生なので、その呼吸(人生)を味わおうと思う。こういう風に瞑想していると不十分な自分自身を許せてくる。理想とギャップがある自分を責めずに、「自分なりにやろう」と思える。
 平安や大安心には程遠いが、家ご飯を「おいしいな」と食べられたり、投げやりにならずに「ありのままの自分を引き受けたりすることが、大きな変化の中でも自分を見失わずに生きるための命綱のような気がしている。

 茨城新聞「心の時代へ」 (2016年12月18日掲載)




 

本当の自分に出会う

 もっと若かった頃、結婚し子育てに追われていた頃の私は、家事をしっかりこなし、育児をちゃんとし、さらに当時は夫の両親と同居していたため良い嫁を頑張って…とやっているうちに、どうにもならなくなっていきました。ふと涙がこぼれ、子どもたちへ笑顔が向けられなくなることもあり、自分は母親や妻をする資格はないのではとさえ思いました。
 いよいよ追いつめられたその時、「私が一番大切にしたいものは何だったっけ?そうだ!それは子どもたちの笑顔だ!」と。周りからどう思われるかばかりに気を取られていた自分にハッと気づくことができた瞬間でした。「一番大事な子どもたちが安心して伸び伸びと過ごせること。子どもたちの生き生きした笑顔が見られるような暮らしをしよう。他のことは、誰がどう思おうと気にするのをやめよう。子どもたちの笑顔が消えてしまったら、他の何を得られたたとしても意味がない。あれもこれもではなく、まずは私にとって一番かけがえのないものを大切にしよう」と。
 生きる指針となる「本当の自分」を見つけることができました。その後またフラフラとと見失いそうになったときも、我に戻ることができるようになったように思います。
 私たちは、仕事でもノルマに追われたり、職場の求めるものに応じたり、周りの評価を気にしたりしながら、なんとか毎日頑張って、でも頑張っているのにうまくいかなくて追いつめられたりすることもあります。勉強でもスポーツでも、頑張って順位が上がって、そのうち周りから期待されてプレッシャーになったり、思うようにいかなくて苦しくなったりしてしまうこともあります。ボロボロになって、自信を失って、あれ?何のために自分は頑張っていたのだっけ?本当に自分がしたいことは何だったのだろう?日々何かに追われていると、私たち人間はどうも大事なことを見失いやすいのかもしれません。
 そして、いよいよ苦しくなったとき、深く悩んだとき、それは、本当の自分に出会うチャンスなのかもしれないと、カウンセリングの仕事をしていると感じます。どう生きていけばいいのか?自分はやっていけるのか?何のために生きいるのか?そんな、とても心細い、もがき苦しむような時間をカウンセラーとして寄り添い、その方の力を信じて見守っていくと、次第に見失っていた自分を取り戻していかれるように思います。
 心の病で休職された学校の先生が復帰される時、「以前は生徒の学力や部活の指導で少しでもよい成績をと頑張ってきた。それも大切だけれど、今度戻ったら生徒の心に寄り添える先生になりたい。こんな苦しみがあると分かったから。それにそんな先生になりたくて教師になったのだから」とおっしゃいました。本当の自分に出会われたのだなと思いました。

 茨城新聞「心の時代へ」 2016年11月20日掲載




 

野良猫ひめちゃん

 まだ空気が冷たく、もう少しで桜の季節になる頃、真っ暗な中、小さな雑草の陰から何かがこちらを見ているのに気づきました。そぉーっと近づいても動かないので、その場で静かにしゃがんでみました。すると、警戒しながらゆっくりと、少しずつ近づいてきました。手をだすと逃げてしまうと思ったので、じーっと静かにしていました。右に歩いては止まり、左に歩いては止まり、こちらを気にしながら私のうしろへ通り過ぎて行きました。ちらっと後ろをみると、小さな猫ちゃんが私の身体のすぐ後ろに背中合わせにちょこんと座っていました。「寒いね~」と身体をなでてみると、逃げずに足元にすり寄ってきました。人懐こいコでした。それがひめちゃんとの出会いでした。
 それからひめちゃんを近所でよくみかけるようになりました。とても人懐こいのでどこかの飼猫だろうと思っていました。「お名前は?」「おうちは?」と聞いても童謡「犬のお巡りさん」同様、何を聞いても「ニャーン♪」なので、勝手に「ひめちゃん」と呼ぶようになりました。たまに会うと「今日は寒かったね~。何してたの~?」などと話しかけるのが、楽しみになっていきました。
 そんな日々を過ごしていましたが、ひめちゃんのお腹が少しずつ大きくなっていきました。数日見かけない日があったかと思うと、次に見かけたときは、ホッソリとしていました。「赤ちゃん生まれたの?どこにいるの?」と聞いても、いつもひめちゃん一匹で、子猫を見かけることはありませんでした。


 夏も終わりごろ、ひめちゃんのお腹はまた大きくなってきました。どこかの飼猫なのか、妊娠を繰り返しているようなので野良猫なら避妊手術をと考え何度か動物病院へ連れていこうとしましたが、必死に抵抗され逃げられてしまっていた矢先でした。大きなお腹を抱え、近所の野良猫たちと出くわすと、いつも激しくけんかをしていました。「何かあったら、逃げてくるんだよ」と会うたび伝えました。その言葉が伝わっていたのかどうか、ある晩、爪を立て玄関扉をガリガリし、必死でニャアニャア鳴くのです。知っているだけで二度出産している様子だったので、出産場所を探しているのだと感じました。「うちは日中不在だから無理なんだぁ・・・」と伝えましたが、ひめちゃんは、「助けてー!」と必死に訴えてきました。あまりの切羽詰まった声に思わず玄関を開けると、急いで安全そうな押入れに入り込み、数時間後には静かに子猫が誕生していました。


 それから数日後、家族の協力のもと、妹宅にひめちゃん一家はお引越しすることになり、ひめちゃんの家猫生活が始まりました。妹宅には4歳の先住猫(♀)がいます。野良だったひめちゃんは、子猫がいることもあり「シャーッ!」と歯をむき出し怖い顔で先住猫にも人にも威嚇しました。食べ過ぎるほど何でもよく食べ、夕飯のときはクンクン鼻を動かしおかずをねだり、おかずの残りを知らない間に盗み食いし、魚はきれいに尻尾だけ残し頭も骨もバリバリと食べるなど野良猫魂全開。ネコ用トイレはなかなか慣れず、一日中トイレを我慢したり、砂を掻き出す勢いが強過ぎてあたり一面に砂をまき散らしたり、部屋の真ん中までトイレが移動してしまったり。やることなすことワイルドです。それでも授乳や、子猫の身体をていねいに舐めてやるなど、慣れない環境の中で一生懸命育児に励んでいました。3.5kgほどの小さなひめちゃんのがんばっている姿をみると、協力せずにはいられない気持ちになりました。
 驚いた のは、ひめちゃんの観察力です。先住猫と仲が悪いため、夜間はひめちゃん一家のいる部屋のドアを閉じていました。ドアは、取っ手を下に下げると開くような形で、ひめちゃんは人がやるのを何日もじーっと見ていました。ある朝、「ドシン!」という大きな音とともに、部屋の中にいたはずのひめちゃん一家がゾロゾロと部屋から出てきたのです!?部屋に閉じ込められるのがとても嫌いなひめちゃんは、取っ手のところまで飛び上り、取っ手を体重で押し下げて自分でドアを開けてしまうことを覚えました。また、トイレの使い方も、先住猫がトイレに入っている様子をじーっと何度も見ていました。「あんなに見られていたらトイレ入りにくいよね~!」と家族で笑っていたのですが、「あぁいう風にやるんだな~!」と学んだのか、先住猫がやるように、ほとんど砂を掘らずに用を済ませ、トイレ後はこれまた先住猫がやるように、砂→トイレの側面→下に敷いてある新聞紙の順にカサコソと砂を掘るしぐさをするようになりました。家猫ルールを真似しているのです。小さな小さな頭で、よく考えるねぇと家族で感心しました。


 獣医さんの話では、推定2歳と思われる小さな身体のひめちゃん。これまでは一体どんな毎日を過ごしていたのでしょう・・・ 生後1~2年で、自分でエサを探し、雨風をしのげる場所をみつけ、そして、困ったときには「助けて!」と必死で訴え、子猫たちとねずみのおもちゃを本気で追いかけ無邪気に遊び・・・ 大切なことを日々行動で教えられている気がします。
 まだまだ問題山積みの日々ですが、周りの方が「へえ~」「そうなの~」と私の話に耳を傾けてくれ、時には一緒に「う~ん、どうしたらいいかね~・・・」と考えてくれたことが大きな支えになりました。
 元野良猫ひめちゃんは、先住猫と女同士のバトルが続いていますが、やんちゃな子猫たちと慣れない家猫生活を送っています。




 

球根にこもる思い

 昨年の暮れの出来事で、心に残っていることがあります。研修である事業所に伺った時のことです。研修が終わり責任者の方とお話をしていたのですが、帰り際に「よかったらお持ちください」とチューリップの球根を手渡されたのです。球根は一つ一つが丁寧にラッピングされていて、まるで色とりどりのキャンディのようでした。お話を伺うと、秋にご自身でたくさんの球根を用意し、一つずつラッピングし、来訪者にプレゼントされているということでした。
 「球根の花の色は分からないので、何色が咲くかはお楽しみです」と言って、残り少なくなった球根を下さったのです。思いがけない贈り物を頂き幸せな気持ちになりました。
 家に帰り、早速、頂いた球根を庭に植えました。以来時々水をやり、芽の出具合を確かめるのが楽しみになっています。黒々とした土から小さな芽が出て、葉がぐんぐん伸び、やがてつぼみができて、花が開く、今日はどんなかしら?というワクワクした感じを味わえるのはとても幸せです。私は植物に接するたびに、いつも不思議に思います。球根にしろ、種にしろ、あんな小さなものから、芽がでて、見事な花を咲かせ、実を付けるのですから。庭に植えた球根は、寒さに耐えてどんな花を咲かせることでしょうか。
 贈り物は頂くのもうれしいのですが、何を贈ろうかと思案し準備している時にも心が穏やかになるものです。球根を下さったHさんは、たくさんの支えを必要とする子供たちに付き合うお仕事をされておられます。子どもたちと、子どもたちを支える親御さんや、スタッフの苦労と喜びをよく知っておられます。責任ある立場で忙しい仕事の合間を縫って、手渡す相手のことを思いながらコツコツとラッピングを続けられたことでしょう。そして、球根を手渡す時に、お一人お一人に、これまでの道のりへのねぎらいとともに、これからも一緒に歩いていきましょうというお気持ちを託されたに違いありません。
 人も植物も育ちには時間が要ります。「心を尽くして待つこと」の楽しみを改めて思い起こさせていただきました。Hさん、ありがとうございます。

 茨城新聞「心の時代へ」 2017年2月27日掲載




 

夫がうつ病になったとき。振り返って思うこと。

 当時、夫は10年以上勤めた職場から突然異動になりました。異動から2か月経った頃、夫は、夜は不眠、朝の出勤前は腹痛、下痢、吐き気、嘔吐という症状に襲われるようになりました。夫自身も私も混乱していましたが、とりあえず、という思いで心療内科へ通院しました。待合室で、簡単な問診票の記入に何十分もかかっている夫の姿を見て、初めて夫がいかに思考力や判断力が衰えているのか気づき、唖然としました。「こんな状態で仕事ができるわけない」と否応なく感じました。医者からはうつ病の診断が出て、2か月の休職が必要だと言われました。
 休職手続きは電話や書類の郵送で済みましたが、うつ状態の夫にとってはそれを行うことも大変で、体力、気力を消耗しながら、という様子でした。それでも、出勤前に出ていた症状がなくなると、「ゴロゴロしていたらダメ人間になった気がする」と言って、庭の手入れや畑仕事等していました。夫は「早く復職したい」と言っていて、毎日が出勤するためのコンディションを整えるような、準備運動をしているような感じでした。夫の休養を見守る立場の私も、「いつまで休むのだろう?休んでいたら治るのだろうか?治らなかったら?生活費は?」等漠然とした不安が頭の中でグルグル回ってしまい、単純に「ゆっくり休んでね」とは思えていませんでした。
 2週間後の通院で医者から「全く休めていない。それでは治らない。」と指摘されました。医者の言葉にショックを受けつつも、そこで初めて「ゆっくり休もう」「ゆっくり休んでもらおう」という覚悟が、それぞれにできたように思います。先のことを考えるのを止め、その日一日をゆっくり過ごすことだけを意識しました。夫がゴロゴロしていると「休めていそうだ」と安心したし、そのうちテレビを見て笑うようになった夫を見て、「ああ、こうやって大きな声で笑う人だった」と思うこともありました。そのように日常生活の中で少しずつ、夫の回復を実感できるようになっていきました。

 そして約3か月の休職後、会社の復職制度を使っての出勤が始まりました。最初は1日3時間の勤務でしたが、それだけでも大変でした。再び出勤前に下痢や嘔吐の症状がでましたし、会社の駐車場についても、車から降りて会社に入る、ということができない時もありました。辛そうな夫の様子を見て、私もどうしたら良いのかわかりませんでした。「せっかくここまできたのだから、何とか乗り越えてほしい」という気持ちと、「もう十分頑張ったからやめていいよ」という気持ちが交互に押し寄せ、強い葛藤がありました。ある日耐えきれなくなった私は、泣いてしまいながら、その揺れる気持ちを夫に伝えました。夫は黙って聞いていましたが、何か吹っ切れたのかもしれません。翌日から症状が和らぎはじめ、一歩一歩階段を上るように出勤できるようになっていきました。

 それまで、私はうつ病の夫に余計な心配をかけてはいけないと、気丈に振る舞っていた部分があったと思います。でも、そのために本音を言えないでいてストレスが溜まってしまうということもありました。夫がうつ病になった時、「ネガティブな気持ちを言葉で表現することが苦手な人なのだ」と思いましたが、実は私もそうだったと、後になって気づきました。日頃からお互いもっと素直に、自分の弱さや小ささも見せ合い、それを支え合いながら暮らしていくこと、私たち夫婦にはそれが大切なのだということは、この経験から学んだ1つです。

 夫は復職から2年後にうつ病を再発しました。その時は夫婦ともに「もうあんな辛い思いはしなくていいよね」と言い、すぐに退職を決めました。復職したことを後悔しているのではなく、「あの時あれだけ頑張ったから、もう悔いはない」という気持ちでした。不思議なもので、退職を決めた直後に転職の話が舞い込み、現在もその転職先で働いています。うつ病の再発率等を考えると、不安になる時もあります。けれども、「そうなったとしても、何とかなるだろうし、また何か学ぶことがあるのだろう」と思います。そして、「そのように思う、考える、生き方をしていきたい」ということも、この経験をを通して意識するようになりました。
 この原稿を書くにあたり、当時のことを思い出して苦しくなったり、今更気づいて悔やむこともありました。しかしそれよりも、今後自分が生きていく上で大切にしていきたいことに気づくことができ、良かったと思っています。



 

土砂崩れの被害にあって

 今から3年半前のことです。土砂崩れは台風の大雨によるものでした。早朝、それは本当に突然、前触れもなく起こりました。「ゴゴゴー」という聞いたこともないような大きな音、地響きと同時に停電になったのを覚えています。反射的に音の方を振り返った私の目に飛び込んできたのは、壁を突き破って入り込んできた大量の土砂と、その土砂に流され、押しつぶされた冷蔵庫や食器棚でした。それが土砂や家具だということに気づくまでに、いったい何秒かかったでしょう。次の瞬間耳に届いた父の「土砂崩れだ!」という声に初めて状況を理解しました。それと同時に、台所(山側)に居た母と一歳の次女の姿がみえないことに気づき、悲鳴をあげました。幸運としか言えません。押しつぶされた流し台と家具の隙間で母が娘を抱いて守ってくれていました。そして、声を頼りに近づいた父に、母が狭い隙間から娘を託してくれました。母自身は出られるスペースがなく、20分後に駆け付けた救急隊によって助け出されました。自宅は半壊しましたが、娘は無傷、母も軽い打撲で済んだことは奇跡とも思えるような状態でした。

 土砂崩れに巻き込まれた次女は当時まだ1歳3か月でしたから、自分の身に起きたことは理解していないようでした。痛い思いをせず、暗い中で閉じ込められてる間も、母に抱かれて声をかけ続けてもらったことが良かったのでしょう、その後トラウマ反応と思われる程の心配な様子は見られませんでした。次女よりも情緒不安定になったのは、当時3歳の長女でした。長女は1人で寝室で眠っていました。土砂崩れの音と振動で目を覚まし、部屋の窓ガラスが割れ、雨風と一緒に大きな竹が部屋に入り込んでる状況を目にしていました。その後も救急隊や消防、テレビや新聞の取材、近所の人たちなどが集まる非常事態を見聞きしていました。その時は怖がったり泣いたりすることなく、大人しくしていたのですが、今思えば、土砂崩れという外傷(トラウマ)体験を受け止められず、呆然としていたのだと思います。1週間過ぎた頃から、些細なことで泣き出したり、抱っこをせがむことが増えました。また、毎晩布団に入ると土砂崩れの時のことを話し出しました。「あの時、ママ泣いてたよね。」「おうち、壊れちゃったね。」「大きな音がしたよ。それで目が覚めたの。」「私のおもちゃ、泥だらけになってたよ。」等、ぽつぽつと思い出したように話しました。私もそれに付き合い、ママも怖かったこと、でも、誰も大けがをせずに済んで良かったと思っていること等、一緒に話しました。1か月が過ぎた頃には仮設の台所や居間もできて生活自体が落ち着いたことも重なり、それらの様子は徐々に無くなっていきました。

 一番トラウマ反応が強く出たのは、母でした。1か月が過ぎたころから、悪夢を見るようになりました。夢の中で土砂崩れが再現され、身体が押し潰される様な圧迫感を体験、冷や汗や動悸があり、全身に力が入っているところではっと目が覚めるということが何度もあったそうです
 半年から1年の間には、母程ではありませんでしたが、父や夫、私自身も土砂崩れに関する夢をみたり、大雨の日には寝付けないということが何度もありました。布団に入って大雨や強風の音を聞いていると、今にもあの土砂崩れの音、地響きが聞こえてきそうに思えました。あの時の光景や感情が鮮明によみがえり、布団に横になっているということができませんでした。
 このように、家族それぞれが軽いトラウマ反応と思われる経験をしました。それでも重いトラウマ反応、PTSDにならずに済んだのには、いくつか要因があったと思います。

 ① 重傷者、死亡者が出なかった。
 ② 生活が大きく変わらなかった。
  (自宅外での避難生活が短かった。他の土地に引っ越しすることがなかった等。)
 ③ 気にかけてくれる人がいる、という実感があった。
  (我が家だけが非日常のままでいることから、社会、周囲から取り残されていくような孤独感、焦燥感を否応なく感じた。そのような中、訪ねてきてくれたり、温かい声をかけてくれる等、人の優しさに心がほっと和らいだことを覚えている。)
 ④ 家族間で土砂崩れやそれに関する話が沢山でき、ピアカウンセリングの効果があった。
 (お互い、あの瞬間はどこで何をしていたのか、どう動いたのか、当時のパニック状態をそれぞれの記憶をまとめることで理解、整理できた。各々のトラウマ反応についてもくり返し、共感的に話ができた。)

 このように、いくつもの要因が重なり、私たち家族はこの被害、トラウマ反応を乗り越えることができました。大変なことも沢山ありましたが、家族の大切さ、人の優しさ、普通の暮らしがいかに幸せであるか等をあらためて感じ、これからの人生でそれらを大切にしていきたいと強く意識できたことは大きな意味があったと思います。



 

「仕事を教える」と「一緒に考える」

◆新しい年度を迎えて
 4月になり企業には新しい社員が入り、また人事異動で新しい部署に移った社員も多いと思います。4月から夏にかけては職場にとって、新しい人事体制で業務を遂行する基礎作りの時期と言えますが、社員が職場に適応するために、メンタルへルス対策をしっかりやるべき時期でもあります。
 その対策の中核は、新しい仕事や部署に慣れない人のために、①仕事をていねいに教える、②困難な業務や課題は上司が一緒に考えてあげる、ことだと思います。しかし、これらがきちんとなされないために、新しい部署で精神的にまいってしまう社員が増えているのです。
 これは職場の人間関係の問題といえます。政府は電通の女性社員が長時間労働と上司のパワハラで自殺した事件の社会的反響もあり、「働き方改革」として長時間労働の規制に乗り出そうとしていますが、働く人は長時間労働だけでなく、「使い捨てされる」と感じるような職場の人間関係で苦しんでいることが少なくありません。それが限界を超えると休職や退職、自殺に追い込まれるのであり、そうならないために、新年度の早い時期に対策を立てることが大事だと思います。

◆ていねいに仕事を教えてもらえない
 新入社員や新しい部署に異動した社員が直面することは、「慣れていないので仕事がよくわからない」ということです。そうするとだれでも、「わからない人には、よく仕事を教えてやればよいではないか」と言うでしょう。その通りですが、今の多くの職場は(忙しすぎたり人が少なくて)仕事をきちんと教えることをせず、一方で仕事の成果を求めるために、社員がまいってしまうのです。
 新しい仕事をする人はどんなことを訴えているのでしょうか。「上司や先輩がひどく忙しそうで、わからないことをききづらい」「それでも思い切って聞くと迷惑そうな顔をされる」「上司が『わからないことがあれば聞け』と言うので聞くと『そんなこともわからないのか』と言われた」「仕事のやり方を早口で説明されて『1回で覚えろ』と言われた」「仕事がうまくいかないので質問したら『何度同じことを聞くんだ』と叱られ、どうしてよいかわからなくなった」「『わかりませんと言うな。こうした方がよいのではという提案型の質問をしろ』等々。
 自分が新入社員や慣れない部署に異動した社員だとしたら、こんなことを言われてどんな気持ちになるでしょうか。仕事のイロハをきちんと教えずに、一体何をやれと言うのでしょうか。新しい部署で仕事を教えてもらえず休職になる社員が急速に増えています。他の部署で業績を上げてきた優秀な社員、係長、課長クラスも例外ではありません。新入社員だけでなく、慣れない部署に異動した社員をどう支えるかを会社が真剣に考えないと、業務が回らなくなってしまいます。

◆問題を一緒に考えてもらえない
 最近休職する20代の社員が増えているようです。事情を聞くと、仕事を少し覚え始めた社員(入社4~5年目)が、以前ならベテランの社員が担当するようなむずかしい仕事を命じられるとのこと。それでも本人たちは必死に取り組み、深夜まで残業しても頑張ります。しかし経験が少ないのでわからないことが多く、上司や先輩に聞こうとしても出張等で連絡が取れなかったり、ちゃんとアドバイスや指示をもらえない。当然仕事がうまくいかない事態も生じ、それを上司から事情も聞かずに責められると孤立無援の絶望的な気持ちになり、うつ的な状態に陥るそうです。
 慣れない部署に異動した社員も同じ状況です。ベテランでも新しい部署は別世界との事。それなのにサポートする人をつけずに、責任だけを求める職場が増えているようです。初めての部署に異動したあるベテラン社員は、わからない中でも懸命に努力しましたが、業務が思うように進まないため上司に「どうしたらよいでしょうか」と相談したら、「それを考えるのが君の仕事だろう」と突き放され、精神的に疲弊して休職しました。こうした上司の対応で大切な戦力が失われるは、とてももったいないことだと思います。
 私が「どうしてほしかったのか」ときくと、「上司が私の思いや状況を理解して、どうしたらよいかを一緒に考えてほしかった」と多くの人が言います。今、多くの職場は効率化の流れの中で人員を極端に減らしていますが、その中でも社員たちは必死で働いています。ですから上司や経営者が、社員たちの頑張りをねぎらい、困難な問題を一緒に考えてくれたら、まいる人はずっと減るはずです。上司に当たる人は、部下に「困ったことができたら一緒に考えよう」とぜひ言ってあげてほしいと思います。それを言ってもらうだけでも、安心する社員は少なくないでしょう。それは「本当に困った時は上司が一緒に考えてくれる」という思いが、安心して働ける基礎となるからです。

◆人を育てる職場に
 以前の(少なくともグローバリゼーション以前の)日本企業には、「働く人を大事にすることが会社を守ることになる」という経営理念があったと言われています。それを企業共同原理と言う学者もおり、その理念の下で働く人は安心して仕事に取り組み、世界を領導する技術大国になれたと言えましょう。しかし今その理念が失われていることが、働く人たちの疲弊をもたらしているように思います。
 短絡的な利益を求められるためか、「即戦力」を要求する人もいますが、その人も、自分が新入社員の時は即戦力ではありえなかったでしょう。人は、職場に育てられて一人前のプロになり社会人になります。会社はそういう人に支えられており、「人が企業の最も大切な財産」であることは言うまでもないでしょう。ですから今回述べたような事態は、会社が「人を育てようとしているのか」が問われていると思います。
 以前は、「募集すればいくらでも人は来るのだから、手間暇かけて人を育てる必要はない」という考えの経営者もいたそうですが、最近は急速に求人がむずかしくなっているようです。そして仕事を求める人たちは、ブラック企業や長時間労働は避けたいという気持ちが強くなっており、「安心して働ける職場かどうか」が、就職を決める際の大事なチェックポイントになり始めています。
 いろいろなご縁で社員になった人を大切に育てることは、会社の社会的な信頼につながると思います。そのためにも年度初めの社員へのていねいなサポートが求められています。

常陽産研NEWS 5月号に掲載



 

近況雑感

 和製英語という言葉をご存知だと思います。例えば、ОLとかサラリーマンです。これは日本製の英語もどきで、英語として使用しても通じることがありません。逆に、日本語がそのまま英語として用いられているケースがあります。日本特有の事象で、英訳するのが難しいためそのまま英語になった言葉です。その一つに  Karoshi があります。最近、中学教諭の57.7%が「過労死ライン」に達しているという報道があり、目にした方も多いと思います。「死ぬまで働く、働きすぎて死ぬ」。やはり欧米では理解不能なことのようです。最近、「『死ぬぐらいならば仕事やめれば』ができない理由」という本を読みました。過労で追いつめられるこころの経緯を漫画でわかりやすく解説しています。「過労死」「Karoshi」どちらも辞書から消えて欲しいものです。



 

「新たな意味を生み出す」対話

◆ダイアローグ(対話)とモノローグ(独話)

 昨年、『オープンダイアローグ』(セイックラ、アーンキル 日本評論社2016年)という本を読みました。本によれば、フィンランド北部では、精神的危機にある人に対し、スタッフ(医師、看護師、心理士、ソーシャルワーカーなど)が本人や家族とミーティングを開き(なるべく本人の家で)、治療計画を一緒に作ることで、顕著な回復効果を上げているそうです。スタッフの数や診療時間が十分とは言えない日本の精神科病院やクリニックの現状を考えると、何人ものスタッフが本人や家族とミーティングを開き話し合うということは驚きでした。しかしそれだけならば、(日本とは違う)フィンランドの精神医療のあり方をうらやましいと思うことで終わるかもしれません。
 しかしこの本の意義は、心の回復のためにはどのような対話が必要かを示そうとした点にあります。著者は、話し合いにはダイアローグ(対話)とモノローグ(独話)の違いがあると言います。
 「モノローグ的な会話では、発言は閉じられている。つまり、他者はそれを受け入れるか否定するかだけである。」(前掲書P.92)「(モノローグ的会話で)もっともよくあるのは、いくつもの立場が競い合って『自分たちの意見が正しい』と言い合うことである。……誰も真から相手に応答しないし、話を聞いてもおらず、自分の考えに頑固にこだわっている。……参加者たちがモノローグ的な話し方にこだわっていると新しいアイデアは生まれない。」(P.118)
 つまり相手を説得し自分の言い分を認めさせようとするような話し合いは、対話ではなくモノローグ(独話)だというのです。そう考えると、日本の会議の多くはモノローグ的かもしれません。

◆対話の本質は「新たな意味を見出す」こと

 前述したミーティングでは、精神的危機にある人の処遇をきめるために、まず本人の気持ちを皆で傾聴し、それについてスタッフが自分の思いを述べる(指示や指導ではない)、という応答を参加者同士が率直に重ねていくのであり、著者はそれが対話であると言います。応答とは、他者の発言を傾聴しその意味をよく味わい、それによって生じる自分の気持ちや考えをていねいに伝え返すことだと思います。では互いに応答し合う対話によって、何が生まれるのでしょうか。
 「ダイアローグ(対話)の思想の本質は、互いの相手に応答して話し合いながら、『新たな意味を生み出す」ということにある。」(P.92)
 「(対話では)共に考えるという領域に移行するのである。対話的発言は、語られたことに応答して新たなパースペクティブ(見通し・展望)が開かれることを期待する。賛同や拒否の答えを期待しているのではない。」(P.113)
 お互いを尊重し応答し合う対話を重ねていくと、(初めは見えなかった)事態の意味や何が大切なのか(「新たな意味」)が、参加者の共通の思いとして感じられてきます。専門家や権威者が専門知識や力関係を使って本人や家族を説得し指導するような話し合いは、対話のように見えても中身はモノローグ(独話)であり、それでは「新たな意味」は見えてこないと著者は言います。
 「モノローグ(独話)的対話では、話し手はいつも自分の言っていることを正当化して、弁護する立場になる。この種の会話には権力関係が入り込みやすく、『これこそが正しい答え』と決めつける権限を持つ者がしばしば現れる。」(P.113)
 対話では、本人・家族・スタッフ(専門家)は、立場の違いはあれ同等の敬意を払われ、共に考える平等な関係にいます。そのために参加者は、社会的地位や専門性の鎧を脱いで、各自が個人として発言しなければなりません。「正しい答え」ではなく、相手を理解し共に考えることが求められるのです。

◆カウンセリングやエンカウンター・グループでの「対話」

 私は、カウンセリングでの対話も、このような「新たな意味を生み出す」対話でありたいと思います。「話を真剣に聴いて理解しよう」という姿勢で対話すると、そこに安心の雰囲気が作られ、少しずつ心の扉が開かれていきます。例えばうつ症状で苦しむ人が、当初は症状さえなくなればよいと思っていたとしても、カウンセリングで話し合うと、生きてきた流れをふり返り、自分がうつになった意味を考え、安心できる生き方や働き方(「新たな意味」)を見つけていきます。それは、(本人もカウンセラーも)初めからみえていたわけではなく、応答し合う対話を通して生まれます。そして「新たな意味」をつかめば、本来有している生きるたくましさを取り戻し、本人から「まだ悩みや問題は残っていますが何とかやっていけそうです。」とカウンセリングを終了するようになります。
 同じことは、エンカウンター・グループなどのグループの話し合いでも感じられます。一人が話すと他の参加者は傾聴し、思いを伝え合い、徐々にグループ全体として何かを感じていくプロセスが生じます。例えば「夢とつきあう」(体験学習コース)では、一人が自分の見た夢を話し、それについて参加者同士で自由に話し合うのですが、その対話が互いを尊重した雰囲気の中でなされると、夢が言いたいことや夢見者の生きている思いなどが、グループ全体に感じられてきます。それはとても温かなものであり、グループ参加者は夢を題材に話し合うことで「新たな意味」を見つけたうれしい感覚になります。
 参加者が「安心する・ほっとする」ような話し合いは、それが互いを尊重する温かな雰囲気を持ち、かつ「新たな意味」を見つけていくような創造的な対話であるから成立すると思います。 

◆職場や家庭でも「対話」を大切に

 話し合いの中には、限られた時間で結論を出さねばならない会議や、相手を説得しなければならない交渉もありますが、そういう時でも、相手を尊重し応答して「新たな意味を生み出す」というダイアローグ(対話)の精神を失わずにいられたら、ずいぶん温かな関係が作られると思います。そして職場だけでなく、夫婦や親子の間でもそうした対話ができたら、苦しさや問題を抱えていても、ずいぶん生きやすくなるぬではないかと思います。 



 

ヒューマン・ハーバー構想

 茨城カウンセリングセンターの初代理事長の大須賀発蔵さんが亡くなって6年が経った。今回はその大須賀さんと初めて出会った頃のことを述べてみたい。
 1970年代も後半のことである。ある日、友人のО君が「高田の馬場のマンションでロジャーズの研究会をやっている。お前に会わせたい人もいる」と誘ってくれた。私はまだ東京の病院に勤め始めて2~3年の駆け出しのカウンセラーだった。

 その研究会は、数人のカウンセラーと医師がざっくばらんに語り合う自由な雰囲気の会だった。そのやわらかな空気を創り出している中心人物は、場所を提供し、発言は控えめながら、全体を見守るように存在している50代くらいの銀髪の男性だった。それが大須賀さんだった。
 会が終わってから、「お忙しいですか。飯食っていきませんか。」と私とО君に声をかけてくれた。いきなりごちそうになるのも申し訳ないと思ったが、友人のО君に「大須賀さんの話は聞く価値があるぞ」と言われ、3人で会食ということになった。この時出てきた中華料理の海老チリソースがあまりにおいしくて、実は情けないことに、どんな話であったかはほとんどおぼえていない。一つおぼえているのは、大須賀さんは、20代であった私の話を、よく聴いてくれたということである。

 その後、大須賀さんと親しくなり、彼も親鸞のことやカウンセリング観についてよく話してくれた。そして、学徒動員で出征し、生きて帰ることができたからには、どうしてもやりたいと思って温めてきたことがあると言って話し出したのが、この「ヒューマン・ハーバー構想」である、「ハーバー(harbor)」とは港のことで、人には「心の重荷」を降ろせる港のような場が必要だというのである。人にとって「心の積み荷を降ろせる港」は、安心して話せる人間関係なのだ、というのである。

 大須賀さんは柔和な人だった。しかし、その仏教を土台としたカウンセリング観は筋金入りだった。この「ヒューマン・ハーバー構想」は、その後、多くの人の協力により「茨城カウンセリングセンター」となって実現した。現実の茨城カウンセリングセンターは、まだまだ不完全なものだろう。しかし、大須賀さんの構想は、われわれを導く道しるべとしても、われわれの未熟な足取りを支える杖としても、今もたしかに働き続けている。



 
 

ある日

 ある日、鼻血が止まらなくなった。鼻血といっても大量に出たわけではなく、鼻水に血が混じるようににじみ出てきた程度である。もちろん鼻をどこかにぶつけたわけでもなく、原因は思い当たらなかった。とりあえずティッシュで押さえ止まるのを待っていた。周囲に気づかれないように拭きながら仕事を続けていたが、一向に止まらなかった。仕方なくついに医者に行くことを決心し、職場から抜け出した。「どこも悪いところはみあたりませんね」と鼻の中を映し出したモニターを見ながら医師は言った。そして「ストレスで鼻血が出ることもありますから」と続けた。そう言われれば当時の私は複数の仕事を抱え、バタバタとした日々を過ごしていた。仕事は担当者が完結させるのが基本であり代役はいない。なんとかしなければというプレッシャーがストレスとなっていたのかもしれない。医師の診察を受け、ほどなく鼻血は止まった。
 カウンセリングの基本は「傾聴」である。カウンセラーはひたすら話を聴くことに徹し、決して上から目線のアドバイスはしない。テレビではよくカウンセラーのような人が出てきて、ここが悪い、これを直しなさいとアドバイスする人生相談の番組がある。しかし、それは所詮他人からの指示である。上手くいくこともあるかもしれないが、失敗したときは「言われた通りにしたのに、何でうまくいかないのだ」とますます悩みが深くなることとなる。大切なことは悩みながらも自分で結論を出すことであり、カウンセラーはその過程に付き添い、時には背中を押す役割を果たしてくれる。
 欧米ではカウンセリングが生活に定着し、誰でも気軽にカウンセリングを受けにいくという。壊れる前にメンテナンスをするのが大切だという考え方である。日本ではこころの病を軽くみる傾向があり、症状が重くなってから医療機関に行く人が多いように感じる。早めにカウンセリングを受けておけばよかったのにと思うことが多々ある。もっとも私も当時はカウンセリングの存在を知らなかった。
 あの日、鼻血は私にこころの疲れを教えてくれた。もしカウンセリングに行っていたら、きっとカウンセラーはこう声をかけてくれたと思う。「よくここまでいらっしゃいましたね。よくがんばりましたね」
 皆さんも周りにいませんか、鼻血が止まらない人。お待ちしています。



 

あなたの眼差しは?

 先日面白いコミュニケーションの研修に出ました。ペアになりひとりはある意図を持って見つめ、もうひとりはただ相手の視線を受けとるというものでした。見つめる役の人は、初めは「相手を癒してあげよう。救ってあげよう」と意識しながら見つめます。2回目は「相手はそのままでOKだ。自ら輝いている」と意識しながら見つめます。言葉は話しません。ふた通りの眼差しを受けて感じたことは…
 「癒してあげよう」と見つめられると、私の中で抵抗が生じました。糸でからめとられるような感じがして、「私は独立した一人の人間だ。そんなに弱っていない」と思いました。「そのままでOK」と見つめられると、自由になりました。抵抗がなくなり、目を通して深いところで交流できた感じがしました。心地よさが残りました。
 普段、どんな眼差しを向けているか考えさせられました。パートナーに対して、子供に対して、親にに対して、友人に対して、職場の人に対して、相談に来た人に対して…
 「目は口ほどに物を言う」は本当ですね。



 

「うまくやれないなあ」と落ち込んだときは…

 皆さんは、ご自分の事を要領の良いタイプだと思いますか?それとも、要領が悪くて・・・と思っておられますか?どんな人でも、時には「なんで自分は出来ないんだろう」とか「才能ないのかも」など、うまくやれなくて悩むことがあるかと思います。
 世の中は、スピードの時代。より早く、効率的に。なんでも器用にこなせて即戦力。常に成果を評価され、比較され・・・と、あちこちで聞こえてくる言葉を書いていると、キューツと心が何かに挟まれて押しつぶされそうになります。

 だいぶ前になりますが、2つ前のロンドンオリンピックの頃だったかと思います。男子体操の金メダリスト内村航平選手のことをTVで特集していました。
 ご両親も体操選手で、体操教室を地元でやっておられるとのこと。そこで幼い頃から体操を始めた内村選手ですが、最初の課題である鉄棒の逆上がりで悪戦苦闘。周りの子ども達が次々とできるようになっていく中で、一人鉄棒に向かって両足を上げてはバタン、なかなかできるようになりません。他の子ども達が、トランポリンや平均台へと進んでいく中で、毎日毎日一人鉄棒に向かう航平くん。 お母さんも、心配しながら横目で見ていましたが、さすがに助け舟を出してやらないといけないかと思った頃、クルリと回ることができたのです。
 この最初の経験が、その後様々な難しい技を身につけて行く時に、「どんなに難しくても、あきらめずに、ずっと練習を続けていれば、必ずできる日が来る」という信念となって、頑張り続ける原動力になったと言います。他の選手がなかなかできない凄い技の数々を、内村選手が身につけることができた秘密が、この最初の「挫折」にあったのです。
 もしも、最初の逆上がりが簡単にできるようになっていたらどうだったでしょう?逆上がりが簡単にできても、いつか難しいと感じる壁にぶつかったでしょう。そのとき、今までは何でも簡単にできてきたのに、今度はできないと焦り、「自分には才能がないのだ」とがっかりして体操から離れていったかもしれません。そんな風に感じて、体操から離れていった選手は、たくさんいるのではないかと思います。
 運動神経がいい人、頭がいい人、要領がいい人という言葉があります。そういう人はなんでもスラスラできてうらやましいなあと思った事はないですか?しかし、スラスラできてしまう事ばかりがよいとは限らないのだなあと思いました。

 内村選手の話以外にも、一流料亭の板前さんや有名パティシエの方からも、「修行時代は要領が悪くて苦労しました」という話がよく出てきます。周りがどんどん先輩から教わったことができるようになっていく中で、自分だけうまくいかない。一人残ってなんども失敗しながら試行錯誤の中で一つ一つ身につけて行く。そして、一流と呼ばれる人たちは、教えられたことができるだけでなく、誰もやったことのないオリジナリティが求められるわけですが、その壁を乗り越えるのは、ものすごく大変なことなのでしょう。それまで、順調にきた人にとっては、経験のない苦労です。しかし、要領が悪くてスタートから苦労してきた人は、簡単に諦めない。試行錯誤しながらその壁を乗り越えていく。これまでも、スラスラできてきたわけではないのですから。
 新入生や、就職したてのフレッシャーズの皆さん、どうかスタートでつまずいたと感じても、焦らないで欲しいなあと思います。また、なんだか自分は人よりうまくやれないなあと劣等感にさいなまれた時、自分はダメな人間だと決めつけないで欲しいなあと思います。
 そして、周りの人たちも、暖かく見守る目を持つことが、とても大切かと思います。いくらスピードが求められる時代になったとはいえ、人間はそんなに器用な生き物ではないと感じます。慣れるのに時間がかかったり、苦手なことがあったり、人間誰しも欠点を持っているのです。わからないことや、失敗を隠そうとしてしまうのではなく、安心して伝えることのできるように。それぞれの人が、自分のペースで成長していくことを、励ましながら見守る環境が大切かと思います。
 すぐに結果が出ないからといってダメだとは限りません。その苦労がのちに生きてくることもあるのだなあと思います。私たちは、すぐできることを求めたり、周りと比較したり、目先の成績に振り回されたりしがちですが、自分を信じて焦らず取り組んで行けたら良いなあと思います。



 

「あなた」に触れる喜び

 ここ数年、市町村で傾聴ボランティアが盛んになっています。人はなぜ、傾聴ボランティアに引かれるのでしょうか。
 ある学会で言語学者の話を聞いたことがあります。はるか昔、人類がその歩みを始めた頃、言葉は川の向こうにいる人への叫び、呼び掛けとして生まれた、と。言葉は呼び掛ける私たちがいて、それを受け止めてくれる相手がいて紡がれていきます。私たちは生まれた時から世界に呼び掛け、その呼び掛けに応えてくれる存在を求め続けています。そして、この呼び掛けは生涯ずっと続いていくように思えるのです。
 こんなことを感じるのは、日々のカウンセリングの中で、「私」という存在を受け止めてほしいという切なる叫びを感じることがしばしばあるからです。しっかりと受け止められる体験は人を根底から支えます。また受け止めようとする人も「あなた」に触れることが自分自身の喜びとなるのです。傾聴ボランティアに関心を持ち活動を続けている方は、その喜びを知っていると思います。
 今、家族の関係もライフスタイルも以前とは比べ物にならないくらい変化しています。
 家族や友人であっても、お互いに忙しくゆっくりと語り合う時間が減ってきているように思います。この辺で人間関係の原点に立ち戻って互いに語り合い、分かち合い、響き合う関係の持つ豊かさに目を向けてもよいのではないでしょうか。
 カウンセリングの学びは自分自身と出会い、しっかりと自分とつながること、そして大切な人との関係を育てていくことにつながっていきます。この10月から、茨城カウンセリングセンターが主催する「カウンセリング入門講座」が始まります。関心がある方は一緒に学びましょう。皆さまの参加をお待ちしています。

 茨城新聞「心の時代へ」 2017年 9月1日掲載



 

「今の現実」を生きるには マインドフルネスへのいざない

 インターネットの浸透により無数の情報にさらされ、またスピードと効率が求められる今の日本に生きている私たちは、知らず知らずのうちに頭の働きが過活動になり、いつも考えごとをしているように思われます。そして、気づかないうちに頭脳に支配され、振り回されている人が多いように思います。もちろん人ごとではなく私もそうなることがあります。
 頭に支配されているとどうなるかと言うと、「今の現実」を生きられなくなります。無意識に新しい刺激を求めたり、先の事や目の前にないことを考えていたり、過ぎたことを思い出していたり、空想にふけっていたりします。夢を見ている状態と似ているように思います。楽しい夢ならばよいですが、そうばかりではありません。

 例えば、お父さんと小学生の子供が手をつないで一緒に通勤/通学している場面を思い浮かべてください。子供は道端の草を触ろうとしたり、ひばりのさえずりを聞いて空を見上げたりしています。お父さんはこれから会社で起こるだろうことを想像しています。子供はお父さんと手をつないで登校しているので幸せです。お父さんは午前中の会議でちゃんと話せるかなと不安に思い、眉間にしわが寄っています。子供は今に生きていますが、お父さんは想像の中を生きています。
 この子供のように「今の現実」を生きていると、先のことをあまり心配したりせずに今ある幸せを感じることができます。その一方でこのお父さんは想像の中にいることすら気づきません。子供と手をつないで歩いているので体は使っていますが、頭の中のことだけにとらわれています。大脳が回転し過ぎているのでしょう。では、どうすれば考え過ぎることがおさまり、「今の現実」を生きることができるのでしょうか。私はそのカギは「マインドフルネス」にあると思っています。
 「マインドフルネス」とは、一言で言うと「気づき」です。私たちは普段は「気づき」がない状態で生活をしています。そして、何かの刺激があると無意識に反応して考え出したり、ある気分になったり行動しています。「マインドフルネス(気づき)」とは、このように無意識に行なっている思考や感情、行動を意識的に行うことです。

 例をあげると、私は一人で外食をするときにマインドフルに食べるようにしています。お店に行くとテレビがついていたり雑誌があったりしますよね。以前は漫画を読んだりスマホをいじったりしながら食べていました。見回すとそういう人は結構います。しかし、最近は食事が運ばれて来たらそれらを閉じます。そして、目の前の料理に意識を向けます・食べ物を箸でつかみ、口に運び、噛みごごちや味、香りを楽しみ、喉を食べ物が通っていくのを感じます。そうすると「ああ、美味しい!」と自然に感じます。このように食べていると、美味しくて満たされて涙が出そうになることもあります。逆に、「この料理はまずい!」と気づいてしまうこともあります。不思議なことに、ながら食べをしていると「美味しい、まずい」に気づきにくいのですね。
 また、歩くときにも考え事をしないで歩くようにしています。そうは言ってもいつもできるわけではありません。それなので「あっ、考えていた!」と気づいた時に意識を歩行に向けます。
右足、左足と足が出て、足裏が地面に着くのを感じます。同時に呼吸も合わせます。例えば、1歩、2歩で息を吸い、3,4,5,6歩と息を吐きます。このように歩いていると膝の痛みに気づいたり、地面のでこぼこにハッとしたり、草刈りの音に気づいたり、街のにおいが入ってきたりします。考えることも自然と少なくなってきて、ただ歩くことをしています。

 このように「気づき」ながら生活していると変化したことがあります。一つは、不安や落ち込みにとらわれにくくなったことです。以前は何かあると不安になって焦ったり、自分を責めたりすることがよくありました。最近は、不安になったり後悔している時にそうなっていると気づきます。するとそれらの気持ちと少し距離が取れます。「今は考えるのはやめておこう」となれます。
 二つ目は、子供との関係がよくなってきました。まだ幼くて大人のスピードについていけないので朝の支度時はいつも戦争のようになります。「早くしなさい。ほら食べて。早く!早く!もう、何やっているの!置いていっちゃうよ!」と、自分が遅刻してしまう焦りと、なかなか動こうとしない子供への怒りに支配されていました。そうなると子供は「えーん。お父さんの意地悪!」と泣きだします。余計に動かなくなります。最近は、自分の中で「イライラしてきたぞ」と気づきます。そして子供をずっと見ているのをやめて他のことをします。子供がやっていることに興味を示したりしていると「お父さん、帰ったら折り紙しようね」と機嫌よく保育園に行けたりします。
 私たちは、考えることのアクセルはふかせますが、ブレーキをかけられなくなってしまうことがよくあります。生活に「マインドフルネス(気づき)」を与えることで、頭の中の世界だけにとらわれてしまうのではなく、もっと広くて大切な「今の現実」を生きられるようになると感じています。




 

 

情報と上手に付き合う

 「毎日をイライラ、せかせかしないで、心を平和に生きたいな」と思うことがある。大切な家族なのにムスッとしたり、冷たい態度を取ったりしてしまうたびに自分の限界を感じ、だからといって「そんなの無理」と開き直ることもできず、ただ時がたち、気持ちが少しだけ収まり、おずおずと話し掛け、相手も何か言ってくれ、ちょっとホッとし、何事もなかったかのように日常に戻っていく。これはこれでいいとは思うが、より和やかに生きられないかなと模索している。
 こんな私だが、ここ半年ばかりある実験をしている。それはテレビやラジオ、インターネットのニュースをなるべく見たり聞いたりしないこと。以前からニュースは遠慮なしにズバッと心に直撃することが気になっていた。事件や事故、戦争や災害など、その場面までは映さなくても説明の中でおおよそ分かってしまう。すぐに知りたい人には良いが、私は欲していないのに、テレビなどをつけていると勝手に飛び込んで来る。その結果、ショックを受けたり、「全く何を考えているんだ」とイラついたりする。だったら見ないようにしようと思った。
 こうして生活していると、少し分かってきたことがある。一つはニュースはみなくてもそんなに困らないということ。選挙など重要なことは投票用紙が送られて来るし、誰かが話題にする。明日の天気など知りたいことは調べれば分かる。また以前は株価や円相場のニュースに耳をそばだてていたが、たまに見ると上昇しているものもあれば、浮き沈みはあるけれど、大きくは変わらないものもあると分かる。その都度反応しなくても大きな流れがあると分かると、少し気持ちがゆったりできる。だからといって情報は全く要らないというわけではない。同時期に週刊の英字新聞を取り始めた。1週間分の出来事を少しずつ読解していくと、「へえ、そんなことあったんだ」と英語と時間がクッションになってやんわりと心に入って来る。
 まだ実験途中だが、以前よりは情報で心がざわつくのは減ったように思う。「すぐに知らせないといけない」という切迫感も減ったようだ。知らなくても案外大丈夫。情報に振り回されるのではなく、上手に付き合っていきたい。心を平和に生きるために。

 茨城新聞「心の時代へ」 2017年 12月6日掲載    



 

支え合う関係 大切

 2017年のノーベル文学賞をカズオ・イシグロさんが受賞した。5歳の時からイギリスで育った方ではあるけれど、その容貌は日本人であり、英語で話しておられても、そのたたずまいから日本人らしさが漂ってくるようで、私だけでなく多くの日本人が誇らしく思ったのではないだろうか。そして、作品の全てを読んだわけではないが、そのたたずまいから発せられる「品性」が、私により誇らしい気持ちを抱かせたのではないだろうか。落ち着いたまなざしと話し方。一言一言丁寧に選び紡ぎ出される言葉は、謙虚さと同時に周りへの深い慈愛に満ちており、自分とは異なるものをも尊重する姿勢が感じられた。
 作品は異なる文化や時代、さらには個々人の価値観の違いが繊細に描かれているものが多いと思うが、さまざまな人種が入り乱れる国で育った自らのアイデンティティーの模索が背景にあるのではと感じた。
 またノーベル医学生理学賞を受賞した山中伸弥さんからも「品性」と呼ぶにふさわしいたたずまいを感じる。山中さん自身、2度の挫折を味わいながら今日があることを語っている。一つは整形外科医を志すも手術が苦手で「ジャマナカ」と呼ばれ、逃げ出した経験。もう一つはアメリカから戻って日本で基礎研究をしていた頃に行き詰って、うつ病になられた経験。しかし、一つ目の挫折によって研究者となる決心をし、二つ目の挫折の直後にずっと続けていた研究に新たな光が差し込み、紆余曲折の末、人口多能性幹細胞(ips細胞)の発見につながったとのこと。まさに「人間万事塞翁が馬」と語っているが、どれほど苦しい時を過ごしたことだろうと思う。若くしてノーベル賞を受賞し、今なお第一線で研究を続けているが、決しておごることなく謙虚で、周囲への感謝と尊重を忘れない姿勢に心打たれる。
 心とは見えないものではあるけれど、心のありさまはこうして見えるものなのだと感じる。人生の苦しみが、不満や憎悪を生み出すこともあるが、このように周りへの慈しみを養い、自分とは異なるものをも受け入れる土壌をつくることもある。何がそうした違いを生み出すのか。その人の持つ深い洞察力によるものかもしれないが、心から深く支え合い分かち合う人と人との関係があるか否かが、とても大切なのではないかと思う。生きてゆくのが苦しい時に孤独であったなら、それを耐えることは難しいに違いない。支えてくれる関係があったなら、それに感謝し、深く周りを慈しむ心が育まれるのかもしれない。




  

陽だまりの中で

 ある小春日和の日に、繕いものをするために針を持った。繕うのは、穴の開いた靴下、糸目が緩んで取れそうなボタン、伸びてしまった袖口のゴムなど。繕いものの針仕事をするのは、ずいぶん久方ぶりだった。穏やかな日差しを浴びながら、針に糸を通し、一点ずつ補修箇所を確かめ繕っていく。針仕事は心の乱れが針目にでてしまう。丁寧に集中して作業しないと、うまくいかない。使い込んで、柔らかくなった布とうまく釣り合いをとりながら、針を進めていく。補修が終わり、畳んで重ねた衣服をみて、これでもう少し活躍してもらえそうだと満ち足りた気持ちになった。
 作業をしていたら、遠い昔のことを思い出した。子供の頃、繕い物をする祖母の糸通しの手伝いをした。祖母の傍らには静かで穏やかな時間が流れていたように思う。祖母は、大家族の繕い物をどんな気持ちでしていたのだろう。明治生まれの祖母の時代は、煮炊きはかまど、洗濯は手洗い、掃除は箒やぞうきんと、生活はまだまだ、手作業ですることが中心であった。手作業は、こころとからだ全体を使わないとうまくできない。手作業を通して、知らず知らずのうちに鍛えられたものがあるように思う。

 私たちのこころや身体も、手入れをしないでほっておくとガタがくる。忙しさに追われていると、人間関係のほころびも、気になりつつも後回しにしてその場をしのぐということが起こりがちだ。自分自身や大切な人に、その時々で必要な手当てをし、手間を惜しまず、手塩にかけて育てていくこと、このことの大切さを歳を重ねるにつれしみじみと感じるようになってきた。

 世の中全体が、急速に変化している。スピードが要求される。しかし、内的時間は、こうした技術革新の時間とは、別の時間軸で流れている。こころの内側は、そう簡単にリセットしたり、変化できるものではないのだ。
 カウンセリングの場には様々な年齢の方、事情を抱えた方がいらっしゃる。人はカウンセリングルームに辿り着くまでに様々な手立てで、自分を何とか支えようとする。しかし、どうにもならなくなった時に、助けて!の声をあげる。「カウンセリングの予約を申し込んだ時が、いちばんつらい時でした。」と話されることがよくある。「つらさのピークを越したのでキャンセルしようと思いましたが、自分の感じたことを話しに来ました」とおっしゃる。また、「カウンセリングの事はずっと以前から知っていました、でも、来ようと思ってから数年かけて、意を決して、カウンセリングを申し込みました。」という方もおられる。

 以前に比べて、カウンセリングへのハードルが低くなってきた面もあるが、人はそう簡単にカウンセリングには来られない。カウンセリングはいわゆる『悩み相談』という枠に収まらない面を持っている。カウンセリングの中で人は何をしているのだろうか。
 ドラえもんの持つ道具に『どこでもドア』というのがあるが、クライエントは自分でそのドアを開けて、内面の旅を始める。50分という限られた時間枠の中で、クライエントのこころが解かれてゆく。そして、独自の時間が流れ出すのだ。

 旅の主人公はこんな人たちだ。自分の歩む道に迷った青年、緊張の連続でくたびれきってしまった人、心の内に抑え込んできた強い感情に圧倒されそうで苦しくなった人、世間の冷たさに心が折れそうになった人、心の時計が止まったままになってしまった人、自分や人が信じられなくなってしまった人、大切な人と心が通わず苦しんでいる人、一人ぼっちだと感じてる人etc
 こうした状態にあるクライエントの道連れとなり、旅の道中で、嵐が吹こうと、砂漠であろうと、長いトンネルの中に居ようと、その旅の意義を感じ、受け止め、同伴者であり続けること、それがカウンセラーのしようとしていること。
 クライエントは、勇敢にこころの旅を続けていく。なぜならこの内面への旅は切実で生きることそのものだから。クライエントは、時間をかけて自身のこころの内の手触りを感じとり、丁寧に手当てして、大切なものを見つけていかれる。やがて、自分自身を整え、人生を歩む力を蓄えた時に、カウンセラーとの旅は終わりを告げる。そして、再び自分自身の旅を続けていかれる。この作業はどこか繕い物をする作業に似ている。 
 
 今、時代は大きな転換期を迎えている。平成生まれの人達が社会の中心になって時代を創っていく時は目の前だ。しかし、どんなに時代が変わっても、内的な世界の大切さを忘れないでいたいと思う。私たちは、皆誰もこころの内側に独自の世界を持っている、人が人に出来ることの最大のこと、それは、『あなた』と『わたし自身』のこころのそばにいることだと思う。カウンセリングの場に、祖母の傍らにいた静かな時間と同質の、柔らかで穏やかな時が流れることを願いつつ、クライエントとのこころの旅路をこれからも歩んでいきたいと思う。






近況雑感

◆隣の国、韓国で開催されていたピョンチャンオリンピックが25日に閉幕しました。女子スケートをはじめ 、選手が持てる力すべてを発揮した姿が感動的でした。そして、それをサポートしたスタッフや関係者の努 力。選手も口々に周りで支えてくれた方々への感謝の言葉を述べていました。つらいとき、苦しいときに迷 惑をかけたり甘えたりすることも生きていくうえでは避けられません。それでも頑張って恩返しすることが できればそれでいいのではないでしょうか。選手の皆さん、お疲れさまでした。

◆H30.2月14日、茨城県経営者協議会様との共催で、「職場のパワーハラスメント」をテーマとしたセミナ ーを開催いたしました。企業の総務や人事担当の皆様を中心にご参加いただき、パワハラの予防や、被害者 、加害者の対応などについて講演させていただきました。後半のグループ討議では、初対面でなかなか話が 盛り上がらないのではないかと心配していたのですが、共通の悩みを抱えていたことが判明すると、かえって話が弾んだようです。アンケートの結果でも、他社の方と意見交換できたのが良かったという意見が多く寄せられました。



 

「最終講義」を聞いて

 当センターの入門コースやレクチャーコースでお世話になっている茨城キリスト教大学の鈴木研二先生の大学での最終講義「悟り/いたずら/夢つながりー私の研究スタイルー」があったので聞きに行ってきました。講義を聞いて私が感じたことや考えたことを書きたいと思います。
 人によって言い方は異なりますが、その人にとって本当に大切なこと(例えば生まれてきた意味など)は確かに人生の中に存在している。しかし、それを探求して自分のものにすることはとても難しい。ということを思いました。
 その理由としては、その大切なものが私たちに呼びかける声は、風のささやきのように小さなものであり、空気のようにつかみどころがなく、あいまいではっきりしないものだからだと先生は言います。そのため、私たちは「気のせい」とか「何かのいたずら」とかにして切り捨ててしまいます。
 私たちがその声を聞くためには、常識や世間をカッコに入れる必要があると先生は言います。常識や世間の声は大きくて、はっきりしすぎているので、小さな声やあいまいな声をかき消してしまいます。(常識的に考えると違うけれど…)(客観的な証拠なんてないけれど…)(あんまり大きな声では言えないけれど…)「でも、なんとなく、こう感じるし、こうだと思う」。
 そんな風に受け入れて、満足して、安心する。いつの日かそうなりたいなと思いました。ありがとうございました。



 

「手紙 ~親愛なる子供たちへ~」

 ひとつの美しい詩を紹介したいと思います。
 美しいというのは、私の魂に美しく響いてきたという意味です。
 もうひとつこの詩に教えられたのは、「静かに語りかけることば」の美しさです。わたしが大切なあなたと共に生きていくために、あなたの心に語りかけるのが、「語りかけることば」です。考えてみれば、誰であれ、生まれて初めて触れたことばは、この「語りかけることば」です。「おう、よしよし」、「だいじょうぶよ、おう、よしよし」。わたしに語りかけられる、やわらかで温かいそのことばには、宇宙の無限のエネルギーがこめられています。

 この詩の成り立ちについてお話ししましょう。
 ある日、一通のメールがひとりの日本人ポルトガル語学者のもとに届きました。そのメールは、発信人不明のポルトガル語で綴られた短い詩でした。そのポルトガル語学者の名前は角智織(すみ・ともお)。彼はこの詩を読んで心打たれました。そして、この作者不詳の原詩を日本語に訳し発表しました。すると、いろいろな人が自分のホームページなどで取り上げ、世界中に様々な言語で広がっていきました。

 この詩は、高齢のお母さんが愛する子供たちに贈った手紙です。しかし、「悲しい事ではないんだ」と語りかけながら、最後まで愛する者たちを守ろうとする深い祈りのことばは、親子の枠を超えたすべての人に向けられているように感じられました。


 ☆☆☆
手紙~親愛なる子供たちへ~

年老いた私が、ある日
今までの私と違っていたとしても
どうかそのままの私のことを理解して欲しい
私が服の上に食べ物をこぼしても 靴紐を結び忘れても
あなたに色んなことを教えたように 見守って欲しい

あなたと話すとき、同じ話を何度も何度も繰り返しても
その結末を どうか さえぎらずにうなずいて欲しい
あなたにせがまれて 繰り返し読んだ絵本の あたたかな結末は
いつも同じで 私の心を平和にしてくれた

悲しい事ではないんだ 消え去ってゆくように 見える私の心へと
励ましのまなざしを向けて欲しい
楽しいひと時に 私が思わず下着を濡らしてしまったり
お風呂に入るのを嫌がる時には
思い出して欲しい
あなたを追い回し
何度も着替えさせたり
様々な理由をつけて
嫌がるあなたとお風呂に入った
懐かしい日のことを

悲しい事ではないんだ
旅立ちの前の準備をしている私に
祝福の祈りを捧げて欲しい
いずれ歯も弱まり 飲み込む事さえ出来なくなるかも知れない
足も衰えて立ち上がる事すら出来なくなったら
あなたが か弱い足で立ち上がろうと 私に助けを求めたように
よろめく私に どうかあなたの手を握らせて欲しい

私の姿を見て悲しんだり 自分が無力だと思わないで欲しい
あなたを抱きしめる力がないのを知るのはつらい事だけど
私を理解して支えてくれる 心だけを持っていて欲しい
きっとそれだけで それだけで 私には勇気がわいてくるのです

あなたの人生の始まりに私がしっかり付き添ったように
私の人生の終わりに少しだけ付き添って欲しい
あなたが生まれてくれたことで 私が受けた多くの喜びと
あなたに対する変わらぬ愛を持って 笑顔で答えたい

私の子供たちへ
愛する子供たちへ

(角川書店出版「手紙~親愛なる子供たちへ~」)
 ☆☆☆




 

「信じて見守る」大切

 サッカーに夢中の小学生の次男が県の「トレセン」に選ばれ、その練習試合試合を見ていた時です。同じチームの子がドリブルで駆け上がり見事なシュートを決めました。すごいなあと見ていると、さらに2点、同じ形でシュートを決める活躍を見せました。帰りの車の中で次男の様子が気になりました。というのも、練習に参加して何度目かの時、悔し涙を流す姿を思い出したからです。
 その日、仕事で遅れて迎えに行くと次男の姿がありませんでした。同じクラブの友達とそのお母さんが一緒に待っていてくれて「あそこに」と教えてくれました。植え込みに上半身をズボッと入れて足だけ見える次男の姿がありました。友達親子を見送った後、ようやく次男を引っ張り出すと、真っ赤に泣き腫らした目をしていました。その日の選抜で友達だけが選ばれたということでした。
 「今日の試合、活躍していた子いたね」。そうと話し掛けると、「あいつは足が速くてドリブルがうまいからね」と評価しつつ、「でも、いつも同じパターンで決めているから、相手チームもそれに気付けば防いでくる」と分析。さらに「俺の場合は、何かがすごくうまいわけじゃないから、いろいろな技を磨いて、工夫していろんなパターンで点を取る方法を考えるんだ。何かがうまいとそれに頼っちゃうから、俺みたいな方が伸びると思うんだ」と自己分析してみせました。今度は、私が泣く番でした。
 一方、長男。中学2年の時だったか、いつものごとくゲームで遊ぶ時間について小言を言うと、「いつまで僕たちのことをコントロールする気でいるの?」と返して来ました。「ゲームや携帯はつい自分でもやめられなくて困るけど、大人になればもっといろんな誘惑があるんでしょ。そういうときに自分をコントロールできるようにならないと駄目なわけで、いつまでも言われないとできないような人間になったら困るでしょう。だからもう口を出さないで」とぴしゃり。反論の余地なく「それではお手並み拝見」となりました。
 カウンセリングでも親の在り方としても、「信じて見守る」ことが大切です。人間は周りと比較して落ち込んだり、誘惑に負けてしまったりする弱さがありますが、同時に自分自身の問題と向き合い、自分の力で乗り越えようとする強さも持ち合わせているのです。「信じて見守る」ことは難しいですが、子供の姿にその大切さを改めて教えられました。
 
 茨城新聞「心の時代へ」 2018年3月22日掲載



 

新人研修で大切にしていること

 4月は多くの職場に新人が入ってきます。それに伴いそれぞれの職場で新人研修が行われています。茨城カウンセリングセンターでは職場への講師派遣も行なっているため、新人向けのメンタルへルスやコミュニケーション研修の依頼がこの時期たくさんきます。いろいろな職場を訪問して「どんな人が入ったのかな?」と興味を持ちながら2時間前後の研修を行っています。
 その中で私が大切にしていることは、新人同士がお互いに安心できるきっかけを提供することです。コミュニケーションが苦手だったり、人が怖いと言う若者が増えていると聞きます。どう見られるか気になり、人との間に壁を作り、考えすぎてしまうのかもしれません。同期なのに孤立してしまうのはもったいないので、お互いのことを知り合うための演習をします。具体的には「あなたのことが知りたい」と思う気持ちで質問しそれに答える単純なものですが、演習が終わってからの感想を聞くと、「自分と同じところがあって安心した」とか「やっていけそうと思えた」など言う人がいたり、笑顔だったり、肩やお腹の緊張が緩んだり、雰囲気が和んでいるのを感じます。安心できる横のつながりがあると、何かあった時にご飯を食べたり、悩みを聞いてもらったり、励まし合うことができます。新人同士で心のサポーターを築いていってほしいなと思っています。



  

近況雑感

◆例年より春の訪れが早かった今年、残念ながら入学式は葉桜のもとでの記念撮影となりました。駅には真新 しい制服を着た学生や、いかにも新人社員然としたスーツ姿の人々が目につきます。それ以外にも人事異動 などで環境が大きく変わるのがこの季節です。
 こころを張りつめながらも通い続けた4月、GWでその緊張が解けると、一気に疲れが出るのが連休明けで す。皆さんの周囲でも新しい環境になった方がたくさんいらっしゃると思います。ぜひ、目配りをしてあげ て下さい。

◆2018年度の事業案内ができました。
 例年のように、今年も赤い羽根共同募金より助成をいただいて作成させていただきました。「ふるさと納税 」で市町村が返礼品というニンジンで熱心に寄付集めに取り組む一方、なにもお返しのない募金や寄付は細 る一方です。
 遅まきながら当センターも、「センター版寄付金返礼制度」を設けることといたしました。一口一万円ご寄 付いただくとレクチャーコースの講座を2回受講できるというものです。
 レクチャーコースは、毎年10回中4回程度は外部から新しい講師をお招きして開催しております。通年で 出席は難しいが聴講してみたいとお考えだった皆様、ぜひこの制度をご利用してください。



 

あれから

 今年のお正月、実家で何年も手をつけていなかった部屋の片付けをしていると、初代茨城カウンセリングセンター理事長の 大須賀発蔵先生の行っていた講座「東洋の智恵とカウンセリング」(月1回)に出席していたときのノートや先生の文章が掲載された冊子が何冊か出てきた。ふと、そのころを思い出した。
 26歳の初夏、私は茨城カウンセリングセンターへ初めて足を踏み入れた。大学は卒業したものの求人が少ない頃で仕事探しに苦労していた。アルバイトさえ採用されず、家事手伝いをしながら、自分は社会から必要とされていないのではないか…と涙があふれる日もあった。事務の臨時職や、電話受付のアルバイトなどをしながら、自分は何をしたいのかずっと考えていた。ようやくやりたいことがみえてきた。「話を聴ける人になりたい」。そう思いながらも、それを仕事にするとなると経験を求められ、経験がないので仕事へ就けないという堂々巡りの状況だった。まだカウンセリングそのものが今ほど知られていなかった。今は、県内の小中学校には全校配置されているスクールカウンセラーが、調査研究事業という名目で、県内に3人配置されたという時代だった。

 ある講演会で大須賀先生の講演をお聴きし、それから先生の講演の案内を見つけては足を運び、カウンセリングの話や全く知らなかった仏教の教えを易しいことばで教えていただいた。仕事が見つからない…、これからどうしていこう…と数日そのことばかりで頭がいっぱいになり、手にじわーっと汗をかき、身体は緊張し、胸はソワソワと落ち着かず、自分でも身体にまで異変が現れたので「これはまずい」と感じた。「そうだ、大須賀先生に相談してみよう。仕事をさせてもらえないか、聞いてみよう」。それが私のカウンセリング初体験だった。もともと、電話をかけるのも受けるのも苦手、特に自分からかけるのはとにかく緊張する。何を申込の電話で伝えればいいのか、紙に書きだし、何度も練習してから電話をかけた。電話を受けた人が、怖い人だったらどうしよう…、こんなことで悩んでいて、変に思われないだろうか…、予約の電話をする準備だけでヘトヘトだった。しかも、普通はどう申込をするかわからないまま、「大須賀先生に相談したいことがあって」と、ご指名してしまった。仕事をさせてもらえないかと相談するには、理事長でないとだめだろうなと思った。
 いよいよ予約の日がきた。予約をいれてからもずっと緊張は続いていた。こんな調子でお話ができるだろうか…。話をすることが苦手な私は、ますます不安になった。センターへ着くと、奥の部屋へ案内された。大須賀先生が入ってこられるまでの間、緊張はピークとなり、よく言われる「心臓が口から出そうな」状況だった。「トントン」とドアがノックされ、大須賀先生が入ってこられた。まずはどうしたらいいんだろうとよくわからず、立ち上がり、「カウンセリングを勉強しているIと言います」とあいさつした。先生は、両手を広げ、「わー!後輩がきたみたい」と嬉しそうに優しい表情で迎えてくれた。普段は、大勢の人を前に講演している先生が、初対面でずっと年下の私を前にして、偉そうな振る舞いもなく、まだ何も話していないけれど、来たこと自体、会えたことそのものを喜んでくれたようだった。先生はお耳が少し遠くなってきていて、ご自身の耳に手をそっとあて、私のたどたどしいまとまりのない話に耳を傾けてくれた。そして、私は図々しくも、「ここでは働けないでしょうか」と聞いてみた。「ここは人が足りているからねぇ」とのことだったけれど、それまで講演などで話していた仏教の話をしてくれた。「諸行無常」状況は変わらないようにみえて、すべてのものは常にとどまらず変わり続けているんだよ、と。「この先もずっと仕事が見つからず変わらないのではないか」、「今相談の仕事につけないと必要な資格が取れなくなってしまう…」と焦って八方ふさがりとしか考えられなくなっていた思考をやさしく揉みほぐしてくれた。

 カウンセリングにきたのはその1回だったが、その日をきっかけにセンターで行われていた「東洋の智恵とカウンセリング」という講座(大須賀先生が講師で月1回開催されていた)やカウンセリングセミナーなどに参加するようになった。そうしているうちに、少しずつ、本当に少しずつ、月1~2回の市の乳幼児健診の仕事、週1回の中学校での相談員の仕事など、「聴く」仕事に携わることができるようになっていった。
 大学時代の恩師が、「この仕事はゆりかごから墓場までだから、どんな仕事でも大事だよ」と、思うように仕事がみつからない状況を励まし続けてくれた。その頃生意気に「やりたいこととは違う)と思っていた仕事や、「回り道している」と感じていた仕事も、どれも今につながっていて、その1つ1つが今を支えていると思うようになった。縁あって、今、カウンセリングセンターで働いている。迷いながら緊張しながら予約の電話をし、相談にきている方に、私はどのようにお会いしているだろうか。あのときの大須賀先生のように、こられた方が感じているまま、相手の方の気持ちにそっと寄り添うことができているだろうか。
 そういえば、あれからちょうど20年。たった一回の面接を今でもはっきり覚えている。「見てるよ」という大須賀先生からのメッセージだったのかもしれない。

 

 

 

朝活のススメ

 私が中学の時、担任の先生に「朝って、気持ちいいですよね~」と心をウキウキさせて言ったら、「先生、朝、苦手だな~」と元気のない声が返ってきて、想定外の言葉に「えっ」と思ったことを覚えています。
 それから私も成長して「許されるならば朝はいつまでも寝ていたい」大人になりました。朝寝ていたいということはその分夜が遅いんですよね。家事が終わってから自分のことをやると、疲れて眠たくてあまり集中できなかったり、うたたねしてしまったり、ついつい無駄に夜更かしをしてしまったり…。それが続き、私は、夜はやりたいことがあまりできないことに気づきました。
 「そうだ!朝活しよう」と思い立ち、最近は朝4時に目覚まし時計をセットしています。4時きっかりには起きられませんが、しばらく布団の上で足首を回した後、思い切って窓を開けると、気持ちのよいひんやりとした朝の空気が入ってきます。まだ車の往来も少ないので小鳥のさえずりもはっきりと聞こえます。夜早く寝ると疲れもとれていて、思ったより眠気もありません。朝活、なかなかいいです。「先生、やっぱり、朝って、気持ちいいですよ~」



 

「リーダーのあり方」について考えたこと

◆真摯さ
 私が(公財)茨城カウンセリングセンターの副理事長に就任してほぼ1年が経ち、その責任の重さと大変さがじわりじわりと身に染みてきました。そういうわけで最近は、「リーダーのあり方」について考えることが増えました。
 そんな折、常磐線の車内で何気なく吊り広告を見たら、本の広告に「リーダーの条件は真摯さ」と書いてあり、それがなぜか心に残りました。帰宅して調べてみると、「真摯」とは「まじめでひたむきなさま」(広辞苑)とありました。「リーダーが真摯である」とはどんなことでしょうか。ニュアンスとしては、「熱情を持ち信じる道を突き進む」というよりは、どこか「謙虚さ」を感じます。リーダーの謙虚さとは、「自分を過信せずに常に自分のありようをふり返る、部下を大切にする」という姿勢に現れると思います。「公平さ、公正さ」も必要でしょう。ふむふむ、これなら私でも努力すれば近づけるかもしれないなと思いました。なにせ私には、「俺についてこい」は無理だと思っていますので。

◆PM理論
 社会心理学者の三隅二不二(みすみ じゅうじ)はリーダーシップに関するPM理論を作りました。解説によれば、リーダーシップP(Performanse)「目標達成能力」とM(Maintenance)「集団維持能力」の2つの能力要素で構成されるとあります。要するにリーダーには、目標設定や計画立案、メンバーへの指示などにより目標を達成する能力(P)と、メンバー間の人間関係を良好に保ち、集団のまとまりを維持する能力(M)の両方が必要だということです。至極当然なことなのですが、リーダーと言っても、皆一人一人違う個人ですので得意不得意があり、それを自覚し、必要なら修正してバランスを取るべきだとのこと。なるほどリーダーは組織内のコミュニケーションを大切にしなければならないのだなと、改めてうなずかされます。

◆責任
 以前大企業の管理職をされていた人から、「組織が順調に動いている時は、責任者は後ろにいてスタッフに光が当たるようにしてやればいいのです。でも事業をしていれば必ずトラブルが生じます。その時こそ責任者が前面に出て問題の収束に当たり、部下を守り育てねばならない。そのために責任者はいるのです」と言われ、その人にとても温かいものと敬意を覚えました。しかし最近、不祥事が生じても責任を取ろうとしないリーダーが社会のあちこちで報じられることは、とても悲しいことです。

◆一緒に考える
 組織に生じた問題をただのエピソードとして処理せずに、「問題から学ぶことで組織を改善する」ということもリーダーの大事な責任の取り方だと思います。そのためには、まずリーダーが担当者と一緒に問題の意味や対処を考えることです。担当者にとっては、リーダーが当事者として一緒に考えてくれれば、どんなに安心かと思います。しかし実際には、部下の企画や報告にダメを出し続けるが答えは言わない上司、事態への対処を相談する部下を「それは君の仕事だろう」と突き放す上司、そうした対応に多くの人が苦しむのを面接で見てきました。一緒に考えたから最良の案が生まれるという保証はないですが、担当者の孤立感を和らげ自分の仕事に意義を感じられる状況を作れるのではないでしょうか。

◆継続
 以前企業に勤めていた時、「経営の目的は継続にある」と教わりました。これは、企業は社員(その家族)や顧客、関係企業などに責任を有する社会的存在であることを自覚せよということでした。その観点からは「利潤の追求」は企業の目的ではなく、継続するには、その存在と活動内容を社会の人々から認めてもらわねばなりません。大変重たい課題です。

◆安心と有用性
 今たくさんの企業や社会的組織がありますが、この厳しい現代社会で行き残るには、「安心と有用性」が不可欠の条件だと思っています。つまり、その組織が社会や利用者に「安心・信頼」と「役に立つ」というイメージを持ってもらえるか、ということです。「安心・信頼」のイメージとは、例えば 「茨城カウンセリングセンターに行けば、ていねいに誠実に対応してくれる。少なくてもおかしなことはしない」ということでしょう。また、「役に立つ」とは、「茨城カウンセリングセンターのカウンセリングがあって助かった。カウンセリング講座は面白くてためになる。依頼すれば快くよい講演や研修をしてくれる」ということでしょうか。一言で言えば、「茨城カウンセリングセンターがあってよかった」と地域の人々や産業界から思っていただけるようになることです。もしそれがなくなれば、茨城カウンセリングセンターの存在意味が揺らいでしまうでしょう。

◆育てる・育てられる
 地域から必要な存在と思っていただくためには、日々の活動を地道に積み重ねることが基本になるでしょう。一つ一つの面接、一つ一つの研修を、誠実に心を込めてやっていきたいと思います。そのためにも個々のスタッフはもとより組織としての力量や社会的見識を向上させていく、つまり育てることに努力したいと思います。一方、私自身も育ててほしいと思っています。リーダーだからと力まずに(力んでもあまりよいことがありません)、職場の仲間や、面接や講座に来て下さる方々、メンタルヘルスに一緒に取り組んでいる産業界の方々に、教えてもらい育ててもらうことを願っています。
 そのようなことを心がけていけば、「まぁ、そんなにおかしなことにはならないだろう」と自分を慰めることにしています。



 

私のカウンセリングとの出会い

 私のカウンセリングとの出会いは、大学3年生の時でした。当時の私は、小学校教諭を養成する学科に在籍していました。高校生の頃に漠然とではありましたが、「学校の先生になりたいな」と思って、自分で志望した学科でした。でも、2年、3年と勉強が専門的になるに連れて、勉強に身が入らなくなっていました。勉強内容に面白さを感じられず、ただ受動的に授業や試験を受けていたように思います。けれど、当時の私はそのような自分の状況にあまり自覚的ではありませんでした。サークルやアルバイト、学園祭の実行委員などをしていて、毎日が忙しく過ぎていましたし、それらの活動が充実感を補ってくれていたのだと思います。
 そのような日常の中で、たまたま友人が「カウンセリングを受けてみて、とても良かった」と話しているのを耳にしました。私が通っていた大学には、在籍学生が無料で受けられるカウンセリング機関がありました。私はその話を聞いて、何となく、自分もカウンセリングを受けてみようかなという気持ちになりました。これといって、どうしても相談したいことがあるわけではなかったけれど、カウンセリングというものに興味もあり、予約をしました。

 はじめてのカウンセリングで、私は「びっくり」しました。そのカウンセリングの最中に涙が止まらなくなってしまったからです。それまで、悲しいとか辛いとか、泣きたいような気持ちが自分の中にあるなんて、思ってもいませんでした。ただ「何となく」カウンセリングに来ただけだったのに、話を始めたら涙が止まらなくなってしまった。そのことに驚きました。そして、泣きながらも、堰を切ったように話をしたのを覚えています。カウンセラーに「自分はもう先生にはなりたくないんだ」ということを話す(言葉にする)のと同時に、自分の心の中で「そうだったんだ、私は、先生にはなりたくないんだ」と気がつく、という不思議な感覚を経験したことも覚えています。泣きながら話す私に、そのカウンセラーは「ここまで来たんだから、もう少し頑張ってみたら」とか「やりたくなかったらやめてもいいんだよ」とか、そういうことは何も言いませんでした。ただ「あなたの中にそのような気持ちがあるんですね。」と受け止めてくれました。
 また、「学校の先生になりたくない」という単純な自分の気持ちに、それまでは気づかなかった、自覚していなかったということにも驚きました。当時の私の友人はほとんどが教諭志望でした。その中で「自分は教諭にはならない」となった時、疎外感に留まらず、「何のためにここにいるのか」、一人暮らしをして大学に通っている、私の学生としての存在意義が足元から崩れ落ちてしまうことになったのだと思います。そして延いては私の人生の意味、存在価値はあるのだろうか、そのような深刻な問いに結びついてしまう予感があったかもしれません。両親に授業料や家賃、生活費の仕送りもしてもらっていたので、それまでのお金を無駄にさせてしまうということも、当時の私にとっては受け入れ難いことでした。そのような不安や怖さ、深刻な問い、ネガテイブな感情等を一人では抱えきれないから、向き合えないから、気づかないように生活していた、やり過ごしていたのだと思います。


 カウンセリングの世界に「よき聴き手に恵まれると、人は安心して自分自身の心に耳を傾けることがで  きる」という言葉があります。人は、カウンセラーという「よき聴き手」との人間関係を深めることによ  って、
  1 心から「受けとめてもらう」ことにより、心がほぐれ、やわらいでくる。
  2 安心して自分自身の心に耳を傾けるので、本当の気持ちに気づきやすくなる。
  3 自身が何に縛られ、何にとらわれていたかに気づき(目覚め)やすくなる。
  ということを体験していきます。
  このようなカウンセリング関係を丁寧に育んでいくことによって、人は心の悩みを解消したり、その問題や悩みへの見方や考え方を柔軟に修正したりすることができるようになります。

                       (公財)茨城カウンセリングセンターホームページより

 
私は、カウンセリングでよき聴き手に恵まれたことで、心がほぐれ、ほっとして「ここでなら、『もう先生になりたくない』ということについて考えてもいいんだ、話してもいいんだ」と感じることができたのだと思います。そして、その後継続してカウンセリングを受けましたが、その中で、少しずつ、自分の不安やネガティブな気持ちにも耳を傾けられるようになっていきました。その過程で、なぜ私は学校の先生になりたかったのだろう?それは親が敷いた線路に乗っただけではなかったのか?なぜ私は親の「いい子」をやりたいのだろう?本当の私って何だろう?というような様々な疑問や葛藤にもぶつかりました。そのため、カウンセリングは決して「楽しい場所」ではありませんでしたが、その時の私にとっては「必要な場所でした。一人では抱えきれないような感情も、「聴いてくれる」、その感情と、感情を抱えた私を「見守ってくれる」、ということが私を安心させ、それらを見つめていく作業を可能にさせていたのだと思います。後になってみれば、その私の葛藤等は「アイデンテイテイの確立」という青年期の発達段階としてありふれたものだったかもしれません。
しかし、カウンセラーはたった一人の、唯一の「私の物語」として聴いてくれていた、受け止めてくれていたのだと感じています。
 今、そのカウンセリングのことを思い出すと、ただそのカウンセラーが真剣に、逃げずに、私のこころに寄り添って話を聞いてくれた、その優しい、穏やかな「雰囲気」を思い出します。私のカウンセリングとの出会いは、カウンセラーとの出会いであり、その「雰囲気」との出会いでした。出会えたことに、感謝しています。



 

進まない物の片付け

 何十年も物を押し込みっぱなしだった物置や、ずっと手をつけていなかった部屋の片付けを昨年から家族で始めました。長年応援しながら買い集めたサッカー関連グッズ、好きなアーティストの会報、昔撮りためたビデオテープ、カセットテープ、何年も着てない服、ほとんど履かずにしまったままの靴…。出てくる、出てくる。誰かが言っていたのを思い出します。「『いつかは使う』のいつかはきませんよ!」と。そして、こんなものまで!と驚いた20年以上前の大学入試の受験票や、父や伯父の子どもの頃の通知表、すでに壊れていて買い替えた電化製品の説明書などなど…。何かあったときのためにと、何でも取ってありました。
 作業中、「こんなの出てきたよ」と懐かしくなり、ふと手が止まってしまい、なかなか先に進みません。しばらく思い出に浸り、その当時を振り返り、もうこの先使うこともないだろうなぁと気持ちに区切りをつけ、捨てる袋の中へ。一度捨てる方向へ気持ちが動くと、同じようなものは一気に片付いていきます。そして、ごみ袋が何袋もいっぱいになると、すっきりしたぁとうれしくなったりします。
 さて、まだまだ難航しているのが本や手紙。本は、以前よりは手放せるようになりましたが、買って後で読もう、時間がある時に読もうとそのままになっている本のなんと多いことか⁉ほかの方はどうしているのだろう…と気になるのが、手紙類です。何度か引っ越しをしていますが、子どもの頃からもらった手紙、年賀状はずっと捨てられずにいます。小学校の頃、学校内だけでやりとりする一枚5円の年賀はがきがありました。宛先に何年何組とクラスを書けば児童会で相手に届けてくれる年賀状です。もう、名前を見ても思い出せない人からの年賀状もきれいに保管してありました。今回は、十分懐かしい気分に浸り、心の中に保存することにしました。初めて目にする父や母の祖父母の写真なども出てきました。当時のエピソードを聞くと、テレビでやっている「ファミリーヒストリー」がうちにもありました。
 自分のものでないと、案外冷静に「これは、もう必要ないよね」とあっさり判断できます。ただ、やはり本人にとってはその当時の思い出が詰まったものなので、ようやく「これはいらないね」と分別したものも、こっそり部屋に戻していたりして、なかなか進まないのが現状です。

 茨城新聞「心の時代へ」 2018年8月14日掲載




 

カウンセリング講座入門コースへのお誘い
~魅力ある講師たち~

 茨城カウンセリングセンターは、おかげさまで40年近くも安定して存在しています。それは、県民の皆様の支持、サポートのあるおかげです。そのためか、相談件数はますます増え続けています。その茨城カウンセリングセンターのカウンセリング講座は、一般の人が誰でも受講できるものとして人気があります。その理由のひとつは、なるべく専門用語を使わず、大変わかりやすく伝えようとしているからだと思います。そして、非常に普遍的な人間観、カウンセリング観をもっているからだと思います。そのためには講師陣をそろえる必要があります。少しご紹介します。
 まず諸富祥彦先生。明治大学教授で非常に深い人間観をもったカウンセラーです。彼は、カウンセリングは技術というより、その人の在り方、人に対する「心の姿勢」だと言います。「夜と霧」で有名なフランクルの研究家でもあり、若き日の自身の精神的苦闘から生まれたカウンセリング観は、分かりやすく、私たちの胸に響きます。
 次に小原昌之先生。「茨城県高次脳機能障害支援センター」のセンター長です。県内の心理・カウンセリング関係の中心を歩み、「心の医療センター」などで活躍してきました。しかし彼のフィールド・ワークを通して、人が癒されることを深く探求し続けています。人間がもつ潜在的な治癒力に深く目が注がれているカウンセリング観は、分かりやすく感動的です。
 最後に関根一夫先生。オーストラリアの神学大学で学んだ牧師さんです。しかしカウンセラーとしても素晴らしい活躍をしています。医師たちや現場の医療スタッフに、そして何よりも多くの相談に来る人々に非常に信頼されています。その暖かい人柄に接すれば、カウンセリングの基本が何であるかが分かります。彫刻家の金子健二氏や脳外科医の木村伸氏たちと「臨床美術協会」を設立。「存在承認的カウンセリング」が認知症の方々や障害を持つ人々へのいかに重要なサポートになるかを実証しました。子供が健やかに成長していくための基礎的な心の栄養になることを明らかにしてきました。彼は芸術療法にも明るく音楽や美術を通してのカウンセリングについても分かりやすく話してくれます。
 この3人とも「人は生まれてきたこと自体に価値があるのだ」「だから、あなたはすでにあなたのままで価値があるのだ」という人間観で共通しています。それは「心が追い詰められている人」ほど、その人間観に敏感だからです。これはこのカウンセリング講座に一貫して流れている人間観です。この講座は今年の10月下旬に月1回(全10回)の日程で始まります。原則としてどなたでも参加できます。茨城カウンセリングセンターまで、お気軽にお問合せください。